イラク戦争の最中、ブッシュは「戦時大統領」と自称して[8]2004年アメリカ合衆国大統領選挙に再選を狙って出馬し、イラク戦争と国内問題の遂行をめぐる論争にもかかわらず、上院議員のジョン・ケリーに大きな差をつけて2004年11月2日に再選された[9][10][11]。
しかし再選後のブッシュは益々激しい批判を受けた。ブッシュの国内の支持率は2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ直後の[3]91パーセント(ザ・ギャラップ・オーガナイゼーションがこれまでに記録した中の最高値)[4]から、2008年2月20日には記録に残る中で最も低い現職アメリカ合衆国大統領支持率[12]となる19パーセントにまで低下した。このときブッシュの不支持率は76パーセントまで上昇し、国内ではブッシュ批判が激しさを増した[13]。それは2009年1月20日に後継のバラク・オバマに政権をバトンタッチするその日まで続いた[14]。しかし退任後の好感度は上昇しており、2009年1月の退任時には33%だった好感度が2018年1月には61%にまで上昇した。 アメリカ合衆国では父のジョージ・H・W・ブッシュと区別するため、第43代アメリカ合衆国大統領であることから「43(フォーティスリー)」や、ミドルネームを表す「W」、またはテキサス州周辺地域での「W」の発音から「Dubbya(ダビャ)」と呼ばれることもある。また、歴史的には同姓同名で血縁関係のある人物を区別する際、年長者を「大(major)○○」、年少者を「小(minor)○○」と呼ぶので、父を「大ブッシュ」と呼ぶのに対して、息子の方を「小ブッシュ」と呼ぶこともある。父を「ブッシュ・シニア」と呼び、息子の方を「ブッシュ・ジュニア」と呼ぶ例もある。俗には、父のほうを「パパ・ブッシュ」と呼ぶ人もいる。上述のように、弟であるジェブ・ブッシュの長男でもある、W・ブッシュの甥もジョージ・ブッシュだが、ミドルネームがPとなっている(ジョージ・P・ブッシュ)。 1946年7月6日、コネチカット州ニューヘイブンで、ジョージ・H・W・ブッシュとバーバラ・ブッシュの長男として生まれた。ブッシュは4人の兄弟であるジェブ、ニール、マーヴィン、ドロシーとテキサス州のミッドランドとヒューストンで育てられた。もう1人の妹であるロビンは1953年に白血病によって3歳で死亡した[15]。ブッシュの祖父であるプレスコット・ブッシュはコネチカット州選出の上院議員で、ブッシュの父であるジョージ・H・W・ブッシュは1989年1月20日から1993年1月20日まで41代目アメリカ合衆国大統領を務めた[注釈 1]。 ブッシュはマサチューセッツ州アンドーバーでフィリップス・アカデミーに通った。そこで彼は野球をして、最終学年まで男子校のヘッド・チアリーダーだった[16][17]。
父との呼称の違い
来歴
若年期と軍歴ジョージ・W・ブッシュが1歳のころ。両親と。ジョージ・W・ブッシュ(後列の左から2番目)と家族。空軍州兵時代のジョージ・W・ブッシュ