『スター・ウォーズ』製作時、監督としての収入は、当時の日本円にして約5,000万円であった。20世紀FOXが監督料の上乗せをしようとしたが、ルーカスはこれを受け取らない代わりにマーチャンダイジングの権利を20世紀FOXに要求し、結果、莫大な収入を得る。この収益は、『スター・ウォーズ』全6作(特別篇、ビデオ、DVD収入を含む)よりも遥かに上回る結果となった。
その『スター・ウォーズ』公開時、興行的失敗の知らせを聞きたくなかったために、電話のないオーストラリアのホテルに潜んでいた(「映画が成功した」と伝えたのは同じくオーストラリアにいたスピルバーグ)。[要出典]
初めは、監督より編集者として活躍していただけに、早くからフィルムをカットしていく従来の方法ではなく、ビデオを利用した電子編集を導入したり、世界最初のノンリニア編集システム「editdroid」の開発をも支援した。
『スター・ウォーズ』第1作で既にドルビー・ステレオを導入していたルーカスは、映画館の音響設備が整備されていなかった高水準の音響設備や上映環境を整えるため、THXプログラムを1980年代に立ち上げた。これは音響機器の特性から残響・遮音といった上映施設の環境に至るまで厳しい基準を設定し、ルーカスフィルム傘下で高品質の音響製作を行うスカイウォーカー・サウンドの音が、そのまま映画館でも再生出来るよう意図したものである。さらに、映写システム調整用のテスト素材TAP[3]の供給も開始。これによって、上映環境が画も音も改善され、ドルビーのサラウンドシステムの進歩も促した。THXでは上映フィルムの品質管理も行うようになり、レーザーディスクやDVD、Blu-ray Discなど、家庭用ソフトウェアでもTHX認定を受ける製品がある。映画上映の環境改善、ビデオや音響システムのデジタル化に伴った製作から家庭までの再生環境の向上に、ルーカスとTHXは絶大な影響を与えた。
『スター・ウォーズ』新3部作では、まず扮装したスタッフに構想した場面を演じさせ、視覚効果と合成した時の仕上がりや各場面の尺、編集のタイミングを見通した上で俳優を起用した撮影に入る、という「撮影前に編集する」プロセスを採用。さらに、その時の映像を撮影前に俳優に観せる事により、後でCGをはめ込むため、撮影中は周りの風景が見えないブルースクリーンの中でも、より演技しやすい環境を作った。
『スター・ウォーズ』第1作のために、ルーカスフィルム傘下に立ち上げたSFXスタジオ、インダストリアル・ライト&マジック(ILM)に、1980年代初頭にCG部門を開設してピクサーの母体を作り、逸早くHD24Pを導入し配給の経費削減にも貢献するデジタルシネマ構想など、映画製作のデジタル化推進の急先鋒であるにもかかわらず、当の本人は至ってアナログ派で『スター・ウォーズ』新3部作の脚本も、バインダー式ノートに鉛筆で書かれている。
映画賞にはそれほど縁のないルーカスではあるが、1991年には長年の功績を称えられ、アカデミー賞のアービング・G・タルバーグ賞を受賞した。2007年の第79回アカデミー賞授賞式で(過去に監督賞を受賞した)スピルバーグ、コッポラと並んでセルフ・パロディとも言うべき掛け合いを披露した。
製作総指揮を手掛けた作品は多いが、監督作とは対照的にそのほとんどは評価が低く、『ハワード・ザ・ダック/暗黒魔王の陰謀』はその最たる物である。また、監督としての作品も6作品と多くはない(うち4作が『スター・ウォーズ』)。理由の一つに、1977年の『スター・ウォーズ』製作時のストレスが甚大で、内気な性格の上に糖尿病を患っていたルーカスには肉体的負担が強かった事が挙げられる。ルーカスが思い描く「世界観」が誰にも理解出来ず、監督業から編集作業まで総てを手がけなければならないという激務もあって、実際、撮影中に二度入院している。そのため、同作のエピソード5・エピソード6では製作総指揮に回り、次の監督作であるエピソード1まで22年間の空白が出来る事になった。
2012年、1988年から企画を進めていた第二次世界大戦時に空軍に参加した黒人パイロットの物語『レッド・テイルズ』が公開された。ルーカスは同作を最後に「映画製作からも、会社からも身を引くつもりでいる」と引退を示唆した[4]。ただし映画製作に全く関わらないというわけではなく、ルーカスフィルムから離れ、ハリウッドの大作ではなく『THX-1138』のような低予算で実験性の高い作品を作っていくつもりだと話している[5]。
2012年10月30日、ウォルト・ディズニー・カンパニー(ウォルト・ディズニー・スタジオ)がルーカスフィルムを40億5000万ドル相当で買収したが、ルーカスフィルムはルーカスが完全に所有していたため、売却益のほぼすべてを手にすることになる。その利益の大半を慈善事業に寄付する意志を表明している[6]。また、資産の半分をいずれ寄付することを宣言するギビング・プレッジに参加している。
これ以降に新規製作された『スター・ウォーズ』作品では、ルーカスはキャラクター原作者としてのクレジットのみで、製作に直接関与していない。ただし、製作メンバーへの助言や撮影現場への訪問など間接的な関わりは継続しているほか、2020年公開のアニメ『スター・ウォーズ/クローン・ウォーズ』シーズン7では、ディズニー買収後の新規作品で唯一、製作総指揮として携わっている。
1994年の映画『ビバリーヒルズ・コップ3』、2005年の映画『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』ではカメオ出演している。
2015年、ディズニー・レジェンドを受賞[7]。2018年
2020年5月4日、カリフォルニア州ロサンゼルスのエクスポジション・パークに自身の博物館となる「ルーカス・ミュージアム・オブ・ナラティブ・アート」をオープンした[8]。
2024年5月、第77回カンヌ国際映画祭において名誉パルムドールを受賞[9]。 映画の制作で得た利益のほとんどをルーカスフィルムに費やして、自身の生活は質素である。マリンカウンティのハンバーガー店でハンバーガーを食べている姿を良く見かけられている。なお、ルーカスフィルムがあるスカイウォーカーランチでは、ブドウを栽培しており、このブドウは収穫されコッポラの経営するニバウム・コッポラ・ワイナリーでワインとして販売され、高値で取引されている。 子供の頃からSFマニア。また、かつての映画での「連続活劇」のファンでもあり、インタビューにおいて『インディ・ジョーンズ』や『スター・ウォーズ』の演出には連続活劇の手法を用いていると語っている。 尊敬する映画監督は、特撮映画の巨匠レイ・ハリーハウゼンと黒澤明で、レイ・ハリーハウゼンについては「僕達のほとんどが子供の頃から彼(ハリーハウゼン)の影響を受けてきた。その存在なくして『スター・ウォーズ』は生まれなかった。」と影響の大きさを語っている[10]。黒澤に対しては、『影武者』にて国際版の製作総指揮という立場で黒澤を支援し、1990年の第62回アカデミー賞授賞式では、スピルバーグと共に黒澤にアカデミー名誉賞のオスカー像を贈った。黒澤の影響からルーカスの作品には随所に日本文化の影響が表れている。 神話にも造詣深く、特に大きな影響を受けたと公言しているのがジョーゼフ・キャンベルの『千の顔を持つ英雄』(The Hero with a Thousand Faces)であり、「彼の本に出会っていなければ、私は未だにスター・ウォーズ・シリーズの脚本執筆に追われていただろう」と1984年のインタビューで語っている。その他にエドガー・ライス・バローズ、E・E・スミス、フランク・ハーバートなどのSF作品、グリム童話、C・S・ルイス、J・R・R・トールキン、カルロス・カスタネダから影響を受けたという。
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