パットンはそのまま第3軍を率いてバイエルンに進駐し、その地の軍政指導を担当するようになった。ナチスに所属していた事自体が罪だと思っていなかったパットンは他の指揮官と違って占領地域での非ナチ化政策は行わなかったが、その行為はメディア等から疑問視されていた。そして1945年の9月22日に行われた記者会見で「何故ナチス党員だった職員をそのまま働かせているのか」と聞かれたパットンは「ドイツ国民にとってのナチスは、アメリカ国民にとっての民主党や共和党と同じようなものである」という趣旨の発言をして、メディアや政治家から批判の嵐にさらされた。その発言の趣旨はあくまでナチスはヒトラー政権下では合法的かつ唯一の政党であり、その当時党に所属していた事自体を犯罪として考えるべきではない、という彼のスタンスを説明したものだったのだが、その説明をする時にわざわざアメリカの政党をナチスと同レベルで扱ったという事で、多くのアメリカ国民を怒らせてしまった。アイゼンハワーの司令部も当然その発言を問題視し、パットンは第3軍司令官の任務を解かれ、1945年の10月に第15軍(英語版)司令官に異動された。ルクセンブルクのアメリカ軍墓地にあるパットンの墓
同じ軍から軍への異動ではあったものの、当時の第15軍は戦史編纂を担当する極めて小規模な部隊であり、この人事は事実上の左遷であった。12月9日、参謀長のホバート・ゲイ(英語版)将軍らと共に狩猟に出かける途中、ハイデルベルクで乗車していたキャデラックがアメリカ陸軍のトラックと衝突する自動車事故をおこした。事故自体は軽微なもので、トラックの乗員や参謀長及びキャデラックの運転手も負傷しなかったが、後部座席に座っていたパットンは前後部座席の間のパーティションに頭を打ちつけて頚椎を損傷し、意識はあるものの首から下の体が完全に麻痺状態となった。その12日後の21日に肺塞栓症で死去し、ルクセンブルクのハムにあるアメリカ軍墓地に埋葬された。軍人として名を馳せたパットンがあまりにも突然の事故に遭った事と、当時、まだ維持されていた対ソ宥和政策に対する攻撃的な言動に対する政府筋の忌避を買っていた状況でもあった為、暗殺説も流れた。
息子のジョージ・パットン4世は同じく陸軍軍人(最終階級は少将)となり、朝鮮戦争とベトナム戦争を指揮した。また、陸軍大将のジョン・K・ウォータースは義理の息子(娘婿)にあたる。
人物像
自分がハンニバルの生まれ変わりであると信じていたという証言もある。一方で彼には機甲部隊の重要性を提唱するなど先見の明があった。
戦争狂とも言えるその生涯であったが皮肉にも最期の言葉は「(自動車事故は)軍人の死に様ではないな」だったという。ただしこの欠点を自分でもある程度は認識していたようで、日記や妻には自分が「Too damn military(軍人らしすぎる)」と反省を込めて書いている[1](しかし態度は改まらなかった)。
1935年ナチスが制定したニュルンベルク法の原本を入手し故郷の図書館に寄贈している。
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殊勲十字章
陸軍殊勲賞
シルバースター
ブロンズスター
パープルハート章
バス勲章
大英帝国勲章
レジオンドヌール勲章
レジオン・オブ・メリット
ホワイトライオン勲章
レオポルド勲章
アドルフ・オブ・ナッソー勲章
クトゥーゾフ勲章
映画
『パットン大戦車軍団』 - Patton(フランクリン・J・シャフナー監督、1970年、アメリカ映画):アカデミー賞6部門受賞。
『パットン将軍 最後の日々』-“The Last Days of Patton ”(デルバート・マン監督、1986年、日本未公開)
『パットン将軍(ビデオグラフィー世界を動かした人びと)』 [ビデオ]、ヒューマックスピクチャーズ, 1989
『ブラス・ターゲット』- Brass Target(ジョン・ハフ監督、1978年、アメリカ映画):パットン将軍の死を暗殺とした設定のサスペンス。
脚注[脚注の使い方]^ a b c d e f g Alan Axelrod (2009). Patton's Drive: The Making of America's Greatest General. Globe Pequot Press. .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-0762756766