ジョージ・タケイ
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タケイは1956年建築学専攻でカリフォルニア大学バークレー校に入学するが、在学中に俳優の夢を持っていたために1958年カリフォルニア大学ロサンゼルス校 (UCLA) に編入、演劇学学士大学院で演劇学修士を取得する。

1960年リチャード・バートン主演の『北海の果て』の出演がきっかけで、俳優としての知名度を高めていくこととなる。1966年、自身の看板作品となる『スタートレック』シリーズにおいて、番組のプロデューサー、ジーン・ロッデンベリーの発案でヒカル・スールーを演じることになり一層知名度を高める。当時のアメリカのテレビ界において、アジア系俳優が主要な役を与えられるのは初めてであった。

政治の世界にも興味を示し、1972年には民主党大統領大会の公式代表になった他、翌1973年にはロサンゼルス市議会の議員に立候補し落選している。1987年には日系人として初めてハリウッドウォーク・オブ・フェームに名前を残している。

1995年、当時大統領を務めていたビル・クリントンから指名を受け、日米文化教育交流会議 (CULCON) の承認を受けたプログラムを運営する、日米友好基金 (JUSFC) の理事を務める。

2004年11月には今までの功績を称えられ、旭日小綬章を授与された。

タケイは俳優業の傍ら日系市民協会 (JACL) に積極的に参加するなど、日系アメリカ人の社会的地位向上にも大きく寄与している。ロサンゼルスにある全米日系人博物館では1984年から現在に至るまでメンバーとして参加。2002年及び2003年には理事会の会長を務めている。日系人の関わる行事には必ず出席しており、その誠実で真摯、気さくな人柄は日本人のみならず世界の多くの人に親しまれている。

2005年には自叙伝である『星に向かって』の翻訳版が日本でも出版された。これまでも数多く来日しており、自叙伝の出版記念で来日した際には京都神田にある三省堂書店本店でサイン会を行ったり、世界SF大会(ワールドコン)のファン交流のためにパシフィコ横浜を訪れたりしている。また、母が広島出身の関係で、広島の親戚の元も訪れた[10]

2011年に起きた東日本大震災の際には、Twitterなどでアメリカ国内はもちろん、世界へ向けても支援を呼びかけた。動画配信なども行い、英語と日本語を交えてメッセージを発信したほか、メディアへ出演して日本への想いも語っている。

2012年、タケイは自身の遺産的作品と語るミュージカルアリージャンス』に主演した。この作品は第二次世界大戦時の日系人の強制収容に関連した自身の経験を基にしている。カリフォルニア州サンディエゴにあるオールド・グローブ劇場で初演された[11]。2015年11月8日、ブロードウェイで上演された。

2016年、第15回アンフォゲッタブル・ガラ(エンターテイメント界のアジア系アメリカ人の先駆者を表彰する賞)のアイコン・アワードを受賞[12]

2018年、ハーヴェイ・ワインスタインへの告発以降、有名人に対する性的暴行告発が次々となされるなか、タケイもまた性的暴行告発を受けたが[13]、次々と告発者証言の矛盾が明らかになり、後に告発者は自分の主張を否定した[14]。タケイは継続して自身の潔白を強調しつつ、近年のハリウッドにおけるセクシャルハラスメントや性的暴行の告発行為の大切さを強調した[14]
私生活「スター・トレック」1969年1月10日オンエア・エピソードの一幕。
カミングアウトと結婚シカゴのゲイ&レズビアン・パレードにて (2006年)


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