ジョージ・ウォーカー・ブッシュ
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ブッシュはボリビアの大統領エボ・モラレス麻薬の利用を非難したが、逆に「私の知る唯一のテロリストはブッシュだ」と反論されモラレスも一歩も退かない[注釈 6]キューバではアフガン侵攻やイラク戦争以来、『ブッシュはヒトラーに並ぶ殺人犯』という皮肉ったプロパガンダが掲げられていた時期があった。
ロシア連邦
ロシアの大統領プーチン(左)とロシアのプーチン政権とは1999年8月にロシア高層アパート連続爆破事件により発生したチェチェン問題もあり、当初は距離を取っていたが、9.11テロを契機にして協調関係に移行。ロシア領域内通過容認やテロリストの情報提供[94]などプーチン政権から支援がされ、中央アジアへのアメリカ軍基地も設置できた。2001年3月になると、チェチェン武装勢力のテロ事件が頻発したため、プーチンはチェチェンの独立派武装勢力を「テロ勢力」とみなし、徹底したテロ取り締まり作戦に出ていた。事実、2000年1月には、アフガニスタンのタリバン政権とチェチェン・イチケリア共和国(チェチェン分離独立派による国際的に未承認の国家または武装勢力)は互いに主権独立国家として相互承認し合い、チェチェン武装勢力はタリバンと提携して過激なテロ行為をエスカレートさせていた。だからアメリカで9・11同時多発テロが起きると、チェチェン武装勢力のテロ行為がタリバンなど他のイスラム武装勢力と連携しながら一層悪化していったので、プーチンはチェチェン武装勢力に72時間以内の投降を呼びかけ厳戒態勢に入った。10月になるとブッシュがチェチェンの大統領に「タリバンと断交し、ロシア連邦政府との平和交渉」を要請した。こうしてアメリカは「ロシアを潰そう」とする対露政策を緩和し、相互訪問が盛んになり、ロシア経済を成長させる要因を形成した。その背景にはブッシュ政権の思惑があり、ブッシュは9・11事件後ただちにアフガニスタンへの軍事侵攻を始めている。理由はアフガニスタンのタリバン政府が、9・11同時多発テロの主犯とアメリカが見ているオサマ・ビンラディンを庇護しているということだった。タリバン政府はオサマ・ビンラディンが犯人である証拠を出せと主張し、もしそれが正しければビンラディンを第三国に渡すと言ったが、ブッシュはその申し出を拒否し、アフガン攻撃を始めた。2003年にはイラクに大量破壊兵器があるという偽情報に基づいてイラク攻撃を開始。これらの行動をプーチンに批判してほしくなかったのである。そのためにプーチンに迎合したのである。テロを撲滅させる行動をアメリカが肯定してくれたことになり、プーチンは喜んでブッシュのアプローチを歓迎した[87]。2005年のロシアの戦勝記念日の軍事パレードに出席するなど、積極的に「テロとの戦い」を進めていくことを確認した。しかし、イラク戦争ではフセイン政権と親交があったロシアとの利害対立が目立った。また、東欧ミサイル防衛構想を推し進め、南オセチア紛争ではメドヴェージェフ政権から「紛争の発端はアメリカ大統領選挙で共和党を有利にするためのネオコンの陰謀である」と批判されて新冷戦とも評された[注釈 7]
ウクライナ
オレンジ革命で親欧米派が勝利したウクライナの大統領ヴィクトル・ユシチェンコと同国の首相ユーリヤ・ティモシェンコウクライナの親欧米路線をしている。ブッシュはウクライナグルジアのNATO加盟を支持していたが、両国の加盟はフランスやドイツが難色を示しており、またロシアからも強い反発があった。その結果、ウクライナとグルジアのNATO加盟はブッシュ政権下では見送りとなった。ウクライナは西部が親欧米、東部は親ロシアであるために東部からの親ロシア派からはソ連国旗を掲げブッシュの人形を燃やす場面が見られた。
アルバニア
セルビア共和国自治州コソボ独立促進のため、アルバニアを訪問した。アルバニアへの初の米大統領訪問となったため、ブッシュは熱烈な歓迎を受けるという珍しい事例である。アルバニアのNATO加盟については、ブッシュは支持はするが、「アルバニアはより政治的、軍事的な改革を行い、組織化された犯罪を根絶せねばならない」とまだまだ加盟までに準備が必要であることを言及した。アルバニアに対し、平和を維持し、コソボ自治州の独立交渉を進展させていくように促進した。当時のアルバニアはアルバニア暴動の発生など混乱も生じていたが、ブッシュは粘り強く支援を続け、2009年のNATO加盟実現に漕ぎ着けた。これらの経緯から、アルバニア国民がブッシュに寄せる愛着は強い[95]。2011年、同国のフシャクルヤ町に、アルバニア訪問時の姿を模したブッシュの銅像が建立された[95]。また、フシャクルヤ町には、ブッシュの名を冠した広場も設けられている[95]
アフガニスタン
アフガニスタンではタリバン政権が崩壊し、親米政権が樹立した。さらに各国からの200億ドルの支援が施されている。アフガン人はソ連のアフガニスタン侵攻で未だにロシアを激しく嫌っており、アメリカに対してはタリバンからの解放軍のように歓迎して親米政権も樹立していると宣伝されてきたが、実際には、2008年段階でアフガニスタンで内戦は続き、親米のハーミド・カルザイ政権は首都付近に勢力を持った。
アフリカ
アフリカ諸国に対する支援に極めて熱心であり、教育医療活動への支援とともに、紛争内戦の終結を目指して積極的な仲介工作を展開した[57]
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