ジョージ・ウォーカー・ブッシュ
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アメリカ軍撤退はアメリカの信頼性を傷つけ、テロリストを勢いづかせる」と主張した[注釈 4][75]。しかし復興支援を出しても絶えない宗派対立で、毎日60人近くの死者が出るような自爆テロと、それをアメリカ軍とイラク軍が発砲し、イラク戦争の死者は10万人まで増加してしまい、結局イラク国民の間に根深いアメリカへの敵対感情を残し、靴投げ事件の際には、犯人の男に対する同情や駐留アメリカ軍に対する抗議の声が民衆から聞かれた。ブッシュがフセインを打倒した事により、これまでフセイン政権に怯えていたシーア派スンナ派とクルド人が石油の利権また政権争いのために対立が激化してしまい、皮肉にもフセインの恐怖政治が宗派・民族対立を押さえ込んでいたことが明白になった。トルコアブドゥラー・ギュル首相はイラク戦争は泥沼化すると予想しており、イラクを『パンドラの箱』と揶揄していた。ブッシュ退任後は都市部から撤退した米軍の復帰を求める声すら聞かれている[76]。イラク侵攻でブッシュの支持率は低下したと言われているものの、クリントン政権時代でもイラクを敵視し空爆をしており、結局フセインはブッシュだけでなくクリントンからも敵視されていた。ブッシュは石油の利権を狙うためにイラクへ侵略したと酷評されているが、伝記映画『ブッシュ』でも、ブッシュが石油の利権を狙う様子が描かれており、父ブッシュが打倒出来なかったフセインに石油の利権を持たれている事が痛恨であるように描かれている。「イラク戦争」も参照
日本
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に拉致された横田めぐみの家族と脱北者の少女と会見するブッシュ2002年に来日したことがある[77]。小泉純一郎の首相在任中には個人的な繋がりをアピールし、「ジョージ」、「純一郎」と呼び合うほどの仲であった。2006年6月に小泉がアメリカを訪問した際には、ワシントンD.C.から小泉がファンであるエルヴィス・プレスリーの自宅兼博物館のあるメンフィスまでエアフォースワンで同乗し、プレスリーの自宅を自分の妻とプレスリーの元妻とその娘との4人で案内するなどした。その一方で在日アメリカ軍再編アメリカ産牛肉の輸入問題などで日米両政府の見解が一致しない政策もある。また、後半には核施設の無力化のみを条件に北朝鮮に対して妥協するなど、拉致問題で対北朝鮮強硬姿勢を取る日本との歩調のズレが目立った。アメリカの歴代政権は同盟国である日本の常任理事国入り自体には積極的な支援を表明してきたものの、2005年7月に入って日本が安全保障理事会常任理事国入りの手段とするG4案への「ノー」を断固として表明した。日本だけでなくドイツブラジルインドが安全保障理事会常任理事国になるというG4案は安保理全体の大幅拡大が前提であり、ドイツのゲアハルト・シュレーダー政権がイラク問題その他で一貫してアメリカの方針に反対してきたためか、アメリカはG4案には正面から反対した[78]。2007年8月、アメリカ中西部ミズーリ州カンザスシティで行った演説において、「敵は自由を嫌い、アメリカや西ヨーロッパ諸国が自分たちを.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}蔑(さげす)んでいることに怒りを抱き、大虐殺を産み出した自殺的な攻撃を繰り広げました。どこかで聞いた話のようですが、私が述べる敵とは、アルカーイダではなく、9.11テロでもなく、ウサーマ・ビン・ラーディンでもなく、パールハーバー(真珠湾)を攻撃した1940年代の大日本帝国の軍隊のことです」。第二次世界大戦前の日本について「民主主義は日本では決して機能せず、日本人もそう思っているといわれてきたし、実際に多くの日本人も同じことを信じていました。民主主義は機能しないと」、「日本の国教である「神道」があまりに狂信的で、天皇に根ざしていることから、民主主義は日本では成功し得ないという批判もあった」と述べている[79]。2009年1月14日、退任直前にブッシュは盟友としてトニー・ブレアらに大統領自由勲章を授与したが、日本の政治家には贈られていない。大統領退任後の2009年11月3日に日本シリーズ第3戦(巨人対日本ハム)で巨人の黒のジャンパーを着て笑顔で1球を投じた。小泉純一郎元首相、ジョン・ルース駐日米大使、前駐アメリカ合衆国大使の加藤良三コミッショナー、王貞治コミッショナー特別顧問らと観戦した。なお歴代アメリカ合衆国大統領で、初めて来日した1974年11月のジェラルド・R・フォード以降前大統領のバラク・オバマまでの間、国賓としての来日が無かった唯一の大統領である[80]江沢民国家主席(左)と中国の胡錦濤国家主席(左)
中華人民共和国
政権初期は中華人民共和国を「戦略的競争相手」とみなし、2001年4月に南シナ海で発生したアメリカ海軍偵察機と中国人民解放軍機との接触事故では、「アメリカ側に責任は無い」とするなど対立姿勢を強めたが、911テロ直後に江沢民がブッシュに電話したことを契機に協調に向かい、翌月に9.11テロ後の初外遊[81]で中国を訪れたブッシュを迎え入れた江沢民は上海APECの議長国としてテロとの戦いを呼びかける各国首脳との共同声明をまとめた[82]
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