ジョージ・ウォーカー・ブッシュ
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ブッシュは共和党の議会選挙活動に取り組むために、1972年にアラバマ空軍州兵へ転任し、1973年10月にハーバード・ビジネス・スクールに通うために、約8か月早くテキサス空軍州兵を退役して、6年間の兵役義務を終了した[26]

ブッシュはその時期に頻繁に飲酒していたことを認め、「無責任な青春の放浪期間」だったと発言した[27]1976年9月4日、ブッシュは30歳で家族の夏の別荘付近で飲酒運転容疑で逮捕された。彼は罪を認めて150ドルの罰金を科され、運転免許証1978年までメイン州で停止された[28][29]妻のローラと娘のジェンナ及びバーバラと。(1990年)

ハーバード大学MBAを取得した後[30]、ブッシュはテキサスの石油鉱業会社に入社した。1977年には友人から学校教師・司書のローラ・ウェルチを紹介された。彼らは結婚して、テキサス州ミッドランドに居住した。ブッシュは妻の合同メソジスト教会に入会するために、米国聖公会を脱会し宗旨替えを行った[31]

1978年、ブッシュはテキサス州の19下院議員選挙区から立候補した。しかし、地元と接触していなかったと批判した対立候補ケント・ハンスに敗れ、落選した[32]。その後ブッシュは石油企業に戻り、アーバスト・エネルギー[33]、スペクタン・7、ハーケン・エネルギーなどの会社の社長・最高経営責任者となった[34]。これらの事業は1980年代に産業と地域経済に影響を及ぼした石油価格の広範囲な低下により損害を受けた。さらに、ハーケンが関係したかもしれないインサイダー取引の疑惑が起こったが、証券取引委員会(SEC)の調査は、ブッシュの株式販売より前に容疑を正当化するインサイダー情報はないと結論付けた[35]

1981年、ブッシュは妻のローラとの間に双子の娘であるジェンナバーバラをもうける。

1988年、ブッシュはワシントンD.C.で家族と父の大統領選挙活動に取り組んだ[36][37]。選挙運動の後、1989年4月にブッシュはテキサス・レンジャーズの株を購入し、5年間無限責任組合員を務めた[38]。この買収劇に父親の名前がプラスに働いたことをブッシュ自身が認めているが、オーナーとしては精力的に働き、前身球団を含めて1996年に初の地区優勝を果たすなど徐々に優勝できるようになっていたほか、新スタジアムの建設に尽力し、また、しばしばオーナー席ではなくスタジアムで一般客と並んで観戦して、サインを求められれば応じていた[39] [40]1998年にブッシュは最初に80万ドル投資したレンジャーズの株式を売却し、1500万ドルの利益を得た[41]
テキサス州知事父のジョージ・H・W・ブッシュ、妻のローラ・ブッシュと(テキサス州知事時代・1997年11月6日)

ブッシュは1994年のテキサス州知事選挙に出馬を表明したが、これは弟のジェブ・ブッシュのフロリダ州知事選挙への出馬と同時である。共和党の予備選挙で大勝し、民主党の現職知事アン・リチャーズとの事実上の一騎討ちとなる。

ブッシュにはカレン・ヒューズ、ジョン・アルバー、カール・ローヴといった選挙参謀がついた。ブッシュの選挙運動に対して、リチャーズへの中傷であるとの批判も上がった。しかし公開討論での効果的な弁舌により、徐々にブッシュの人気は上昇した。結果11月8日の選挙において54パーセント対46パーセントの得票率で当選した[42]

州知事としてブッシュは、首尾良く不法行為改革のための法律を支援して教育資金の支出を増やして学校の教育水準を上げ、刑事制度改革を行った。ブッシュは152人の死刑を執行させたが、これはアメリカにおいて1人の州知事が執行させた死刑数としては最高記録である[43]。ブッシュは20億ドルの歳入超過を減税に回したが、これはテキサス州における減税額の最高記録である。この減税により、ブッシュは企業活動を擁護する経済右派としての評価を確立した[42]


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