2008年、ロシア連邦が軍事侵攻し、ジョージア北部の南オセチアとアブハジアの「独立」を一方的に承認。日本は、侵攻を受けてロシアと国交断絶したジョージアの要請を受け、2015年4月までの国名呼称グルジア(ロシア語: Грузия, Gruziya)からジョージアへ変更した[10]。 ジョージアはコーカサス山脈の南麓、黒海の東岸にあたる。古来から数多くの民族が行き交う交通の要衝であり、幾度もの他民族支配にさらされる地にありながらキリスト教信仰をはじめとする伝統文化を守り通してきた。一方で、温暖な気候を利用したワイン(グルジアワイン)生産の盛んな国としても知られている。 ジョージアは、かつてソ連の構成国の一つであったが、1991年に独立を果たした。南オセチアとアブハジアの2地域が事実上の独立状態となっており、ロシアなど一部の国から国家承認を受けている。中央部のゴリは、旧ソビエト連邦の独裁者ヨシフ・スターリンの出身地でもある。 一方でロシア帝国とその後に成立したソ連の支配が長く続いたことから、独立後は様々な方面でロシアとの対立路線を取ることが多い。1997年にはウクライナの呼びかけに応じてアゼルバイジャンやモルドバとともにGUAMを結成し、2005年にはウクライナと共に民主的選択共同体
概要
1999年から欧州評議会のメンバーである。
なお、本項目では2015年4月以前の国家名称については「グルジア」、それ以後については「ジョージア」と表記する。また「グルジア語」「グルジア紛争(南オセチア紛争)」など、既に完全に定着したものについては「グルジア」を使用することとする。
国名「ジョージアの国名」も参照
ジョージアにおける自称(エンドニム)は、サカルトヴェロ( ??????????[ヘルプ/ファイル] [sak?art?v?l?]、ラテン文字転写:Sakartvelo)であり、「カルトヴェリ人の地」を意味する。カルトヴェリ人の由来となった「カルトリ」は、ジョージア最古の文学作品『聖シュシャニクの殉教』(5世紀)にもみられる、ジョージア中心地域の古称である[11][12]。この「サカルトヴェロ」系統の国名を使用しているのは、カルトヴェリ語族の諸語とエスペラントの「カルトヴェリーオ(Kartvelio)」または「カルトヴェルーヨ(Kartvelujo)」など少数である。
日本では、ロシア帝国支配下にあった19世紀から当地について知られるようになり、ロシア語名の "Грузия"[??ruz??j?] ( 音声ファイル) グルージヤ)を音韻転写した「グルジヤ」と英語名の"Georgia"([?d??rd??] ( 音声ファイル) ジョージャ)を音韻転写した「ジョルジア」の2系統の外名(エクソニム)が使われていた。大正から昭和初期にかけては「ジョルジア」の方が主流を占めていたが[13][14][15]、1956年の日ソ共同宣言に前後して共産圏の報道に強みを持つラヂオプレスが「グルジア」を採用していたことなどから、徐々に「ジョルジア」に対して優位を占めるようになった。このロシア語名は一説に、英語名のGeorgiaと同じく中世にペルシャ語で使われていた「グルジュ」もしくは「グルジャーン」という呼称がアラビア語などを経由して十字軍時代にヨーロッパへ紹介されたのが由来とされる[12]。スラヴ語圏でも13世紀ごろからこのグルジュに由来する呼称が見られるようになり、その後、キリスト教国であるジョージアの守護聖人「聖ゲオルギオス」の名に結びつけられていった[12]。
国家としてのジョージアは、アメリカ合衆国のジョージア州とラテン文字綴り字および発音も同一[注釈 1]ながら、地名の由来[注釈 2]のみならず歴史的にも何の関連性もない。しかしながら、首都のトビリシはジョージア州の州都でもあるアトランタと1987年に姉妹都市関係を締結しており[16]、1994年にはジョージア国家警備隊とジョージア州兵(英語版)組織の間で相互協力協定(en:Georgia?Georgia National Guard Partnership)が締結されている。