ヴィクトル・ユーゴーの小説を原作とする映画『笑ふ男』(1928年)の俳優、コンラート・ファイトのスチール写真はジョーカーを創造するきっかけになった。その製作者たち(ボブ・ケイン、ビル・フィンガー、ジェリー・ロビンソン)は、「実際は誰がジョーカーを思いついたのか」について長い論争を続けた。
フィンガーは『笑う男』のコンラート・ファイトからインスピレーションを受けて、ジョーカーのビジュアルを決めた。ロビンソンはジョーカートランプのスケッチを作成した[6][7]。
1939年にケインは17歳のロビンソンをアシスタントとして雇った[8][9]。ロビンソンはレタラーや背景のインカーとして仕事を始め、すぐにバットマンのコミックシリーズのメインアーティストになった。
1975年の“The Amazing World of DC Comics“のインタビューで、ロビンソンは次のように述べている。「私はバットマンをテストすることができる至高の悪役を望んでいたが、典型的な犯罪組織のボスやギャングなど容易に現れるようなキャラクターしか創造されていなかった。そこで、悪魔のように邪悪で、道化師のような悪役を創造し、(シャーロックホームズとモリアーティ教授との関係に似ている)バットマンの戦いの継続的な供給源として永続的なキャラクターを望んだ」[10][11][12]。
ロビンソンは、コロンビア大学の研究でいくつかのキャラクターのユーモアがジョーカーの感覚につながり、ジョーカーの名前は、彼が頻繁に手で持っていたトランプのカードを引いてたまたま最初に来たカードから取ったと述べた[13][14]。彼はジョーカーのトランプカードのデザインのスケッチを提供し、フィンガーと電話でジョーカーのコンセプトについて語った。フィンガーは笑うファイトの画像を提供したが、ロビンソンは不完全だと思った[10]。ロビンソンは、“Batman”#1のために余分な話が必要とされたときにバットマンの宿敵としてキャラクターを創造したといい、大学のコースのため物語の報酬を受け取ったと主張した[15]。ロビンソンは「彼らにジョーカーのスケッチを示し、その最初の会議では、ビルはそれを見て『笑う男』のコンラート・ファイトを思い出した。本当に、共同開発者であったボブと私でビジュアルを決めました」と述べた[15]。
しかし、ケインはフィンガーが『笑う男』のイメージを示して、ジョーカーのデザインとして使用した事を語った。後に、ロビンソンは自分がスケッチを作製したと反論した[7]。フィンガーは、彼はジョーカーの頭に似ていたコニーアイランドでの障害物競走公園内のイラストに触発されたと述べた[16]。
1994年にジャーナリストのフランク・ラブチーとのインタビューで、ケインはロビンソンの立場を次のように述べている。「ビル・フィンガーと私でジョーカーを創造しました。ビルは作家でした。ジェリー・ロビンソンは、ジョーカーのトランプカードを持って私のところに来ました。それが、私の知っている全てです。あなたが知っているとおり、ヴィクトル・ユーゴーの『笑う男』の俳優、コンラート・ファイトはジョーカーのように見えます。ビル・フィンガーは、コンラート・ファイトの写真を持っていたし、私にそれを示しめして、「これがジョーカーだ」と述べました。ジェリー・ロビンソンはそれとは全く関係ありませんでしたが、彼は死ぬまで、それを創造したと言うでしょう。彼はトランプのカードとして使用するために、ジョーカートランプを我々にもたらした」[17][18] 。