ミケロッティは1963年に古臭くなってきたダフォディル 31(DAF Daffodil
)をダフォディル 32へデザインし直すことでオランダのDAFでの仕事を始めた。DAF・44(1966年)はミケロッティの手による全く新規のデザインを与えられ、1975年のDAF・66(後ボルボ・66)に至るまでの派生車種のデザインにも手を貸した。ジョヴァンニ・ミケロッティと日野自動車の関係は、1961年(昭和36年)に日野・コンテッサ 900より大型の乗用車(後のコンテッサ 1300)の開発を進めていた日野からの依頼で始まった。日野からは開発スケジュールと機械レイアウトが提示されたのみで、あとはミケロッティの裁量に任せられるという非常に自由度の高い仕事であった。これとは別にミケロッティ側からの提案でコンテッサ 900を基に製作されたのがコンテッサ 900 スプリントであった。約4カ月という短い期間で製作されたこの車は1962年(昭和37年)10月のトリノ・モーターショーで披露された[7]。
この他、1969年(昭和44年)発売の大型トラック(KFやZMなど)も手がけており、同年4 t積みとしてデビューした2代目レンジャー KLも同系のデザインとなっている。 ミケロッティがデザインに関わったその他メーカーの車
コンテッサ 1300 セダン
日野・コンテッサ 1300 クーペ
日野・コンテッサ 900 スプリント
日野・コンテッサ 900 スプリント
その他のメーカー
ランチア・アプリリアクーペ (1949)
マセラティA6GCS/53
マセラティA6GC/54クーペ
マセラティ・3500GTクーペとGTスパイダー
マセラティ5000GT
他
出典^ 江沢, 智 (1993年12月). “日野の夢 コンテッサに託して 第3回 ミケロッティとの出会い”. Old-timer (八重洲出版) (No.13): pp. 174 - 178.
^ Mazzocchi, Gianni, ed (March 1978). “Conversazione con Giovanni Michelotti: Tante, tante automobili [A conversation with Giovanni Michelotti: Many, Many Cars]” (Italian). Quattroruote (Milan, Italy: Editoriale Domus) 23 (268): 114. ⇒オリジナルの2007年7月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070701071613/http://www.registrospitfire.it/articoli/IntervistaMichelotti.htm 2012年3月11日閲覧。. Disegna sempre solo vetture? "Soppratutto, ma .... doppo la guerra anche una macchina per fare il caffe." (Q: Have you always designed only cars? A: Almost exclusively, but ... after the war also a machine for making coffee.)
^ 中村, 孝仁 (1979年8月). “現地試乗 ミケロッティ オリジナル”. ル・ボラン (立風書房): pp. 196 - 200.
^ Costa, Andre & Georges-Michel Fraichard, ed (September, 1980). “Salon 1980: Toutes les Voitures du Monde” (French). l'Auto Journal (Paris: Homme N°1) (14 & 15): 202. M1117.
^ Heitz, Rudolf, ed (1985-08-01) (German). Auto Katalog 1986. 29. Stuttgart: Vereinigte Motor-Verlage GmbH & Co. KG. p. 107. 81530/85001
^ “ ⇒The History of Scammell Lorries Limited”. The Scammell Register. 2008年10月6日閲覧。