首相退任後は、1983年から1987年までベッティーノ・クラクシ(イタリア社会党初の首相)率いる連立政権下で国防相を務めた。国防相ポストの退任後はすぐ上院議長に転じ、タンジェントポリとそれに伴う政界再編の時期を経て1994年4月までその地位にあった(この間、1991年には終身上院議員となった[1])。1992年には短期間、大統領職を代行したこともある。しかし1994年イタリア総選挙においてシルヴィオ・ベルルスコーニのフォルツァ・イタリアをはじめとする中道右派連合が勝利したことにより上院議長の退任を余儀なくされ、その4ヶ月後にローマで死去した。
その他、1976年から死去する1994年まではボッコーニ大学(it)総長のポストにあった(同ポストの後任は、後に首相となるマリオ・モンティ)。
脚注[脚注の使い方]^ a b “エッセー 3.スパドリーニの別荘”. 2015年6月8日時点の ⇒オリジナルよりアーカイブ。2011年6月26日閲覧。
^ “ ⇒http://www.sinoperi.com/Articles-Details.aspx?id=20292&lang=JN”. 2011年6月26日閲覧。[リンク切れ]
関連項目
イタリア共和党
イタリアの首相
先代
アルナルド・フォルラーニイタリア首相(閣僚評議会議長)
1981年-1982年次代
アミントレ・ファンファーニ
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