36歳の時に結婚。
ジャクリーン・ケネディ(1929年 - 1994年)ジャッキー
3人の子供が誕生した。しかし1人は2日後に死去。 ジョン・F・ケネディは10歳まで家族揃ってボストンのブルックライン地区で暮らしたが、ジョンは幼少期からいくつもの原因不明の病気にかかり、病弱で不健康な子供だった[11]。生まれつき背骨部分に障害があり、怪我をしやすく、しばしば激しい苦痛に襲われた[12][注釈 1]。 3歳のときに猩紅熱にかかった際には、母・ローズが教会に通ってその回復を祈るほどであった[13]。これに加えて水疱瘡やおたふく風邪にかかることがあり、また原因不明の「継続的な風邪の症状」に襲われて常に全身が熱っぽく、だるさを感じるものであった[14]。 ケネディはブルックラインでエドワード・デボーション・スクール
キャロライン・ケネディ(1957年 - )
ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ・ジュニア(1960年 - 1999年)
パトリック・ブービエ・ケネディ(1963年)
幼少期
1930年、13歳の時にコネティカット州ニューミルフォードのカトリックの寄宿学校であるカンタベリー・スクールに入学したが、麻疹や発熱、虫垂炎など数々の体調不良に見舞われ、翌年には家に送り返された[19]。父・ジョセフはジョンを兄のジョセフ・P・ケネディ・ジュニアの在籍していたチョート校(現在のチョート・ローズマリー・ホール)[注釈 2]に転校させた[21][注釈 3]。
兄のジョセフ・ジュニアはスポーツ選手として活躍し学校に順応したが、兄に対して激しいコンプレックスを持っていたジョンにとってチョート校での日々も鬱屈したものになり、反抗的な生徒として有名になり、学校では「モッカー」(Mocker:校則違反者、人を馬鹿にする人)というあだ名をつけられ、放校処分になりかけたこともあった[23]。