ジョン・F・ケネディ
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同国第35代大統領(在任: 1961年1月20日 - 1963年11月22日)。名前のイニシャルをとってJFKないし通称であるジャック(Jack)と呼ばれることも多い。在任中の1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺された(ケネディ大統領暗殺事件)。
概要

1960年アメリカ合衆国大統領選挙で民主党の大統領候補として指名を受け、対立候補の共和党リチャード・ニクソンと歴史的な接戦の末にわずかな票差で破って当選し、翌1961年1月20日に第35代アメリカ合衆国大統領に就任した。大統領就任時の年齢は43歳で、アメリカ合衆国の歴史上、選挙で選ばれた大統領としてはもっとも若い大統領であった(就任時42歳であったセオドア・ルーズベルトは選挙では無く、副大統領からの昇格であった)。

20世紀生まれの最初の大統領にしてカトリック教徒として初の大統領であり、若くして大統領となったケネディは就任時からアメリカ国民に期待された。またカトリック教徒アイルランド系アメリカ人としても最初の大統領となった。ケネディの在任中はキューバ危機や米ソの宇宙開発競争公民権運動の高まりなど多くの歴史的事件が発生しているが、特にキューバ危機の対応においては「第三次世界大戦」と「米ソ全面核戦争」の危機を回避したと肯定的に評価する声が多い。

一方で、大統領選挙における不正やマフィアとの関係、マリリン・モンローをはじめとする複数の相手とのホワイトハウスでの不倫ピッグス湾事件ベルリンの壁の建設における優柔不断な態度、ラテンアメリカ諸国に対する政治的干渉および軍事的干渉[3]。そしてベトナム戦争の拡大や枯葉剤の散布に対する批判的評価も同時に存在する。

1963年11月22日、テキサス州ダラスで遊説のため市内をパレード中に暗殺された。犯人として捕らえられたリー・ハーヴェイ・オズワルドは、わずか2日後にジャック・ルビーによって射殺された。ケネディ暗殺事件はその衝撃と陰謀説など数々の謎に包まれて、歴史に残る事件となった。
生い立ち

1917年5月29日、マサチューセッツ州ブルックラインにてアイルランド系移民で実業家のジョセフ・P・ケネディ・シニアローズ・フィッツジェラルド・ケネディ夫妻の次男として誕生した。名前は母方の祖父で、当時ボストンでの実力者で連邦下院議員の後にボストン市長を務めたジョン・F・フィッツジェラルドにちなんでいる。
ケネディ家のルーツ

ケネディ家のルーツは1848年にジョン・F・ケネディの曽祖父パトリック・ケネディ(1823 - 1858)が、まだ英国領であったアイルランドでの差別と飢饉を逃れて新大陸アメリカを目指したことに始まる。翌1849年にアメリカへと到着してボストンに居を構え、ブリジット・マーフィー(1824 - 1888)との間に男子2人を含む5人の子どもが生まれたが、3番目の長男ジョン・ケネディ3世がコレラでわずか2歳に満たずに早世した。末子の二男がジョン・F・ケネディの祖父パトリック・ジョセフ・ケネディ(1858 - 1929)で、やがてボストンで港湾労働者から身を起こして実業家となり、マサチューセッツ州下院議員、そして上院議員を経て地元ボストンの有力な民主党員となった。彼はマリー・オーガスタ・ヒッキーと結婚して2男2女の4人を育て、次男は早世したが長男がジョセフ・パトリック・ケネディ(1888 - 1969)で、ジョン・F・ケネディの父である。
ケネディの兄弟

父のジョセフ・パトリック・ケネディと母のローズ・フィッツジェラルド(1890年 - 1995年)との間には、4男5女の9人の子が誕生した。

ジョセフ・パトリック・ケネディ・ジュニア(1915年 - 1944年)ジョー

ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ(1917年 - 1963年)ジャック

ローズマリー・ケネディ(1918年 - 2005年)


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