ジョン・ヴォイト
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ヴォイト家は宗教面ではキリスト教に属していたが、プロテスタントではなくローマ・カトリックであった[3]。自身もカトリック系のアーチビショップ・ステピナツ・ハイスクール(英語版)に入学し、さらに卒業後はワシントンD.C.に移住してアメリカ・カトリック大学(英語版)に進学している。

大学では美学を専攻していたが、シェイクスピアの『夏の夜の夢』の舞台に出演した事を契機に役者を志すようになった。大学卒業後、ニューヨークに戻って演出や舞台美術を勉強し、また役者としてオフ・ブロードウェイブロードウェイの舞台に立つ日々を送った。1962年、役者仲間であった女優ラウリ・ピータース(英語版)と結婚するが、長くは続かず5年後に離婚している。

1967年に製作された『墓石と決闘』で29歳にして映画初出演を果たした。映画俳優としてのデビューは遅かったが舞台で培った確かな演技力から評価を受け、1969年に『真夜中のカーボーイ』で田舎から出てきたジゴロ志望の青年を演じて注目されている。1971年、女優ミシェリーヌ・ベルトランと再婚して長男ジェームズ・ヘイヴン・ヴォイト、長女アンジェリーナ・ジョリー・ヴォイトの一男一女を儲けているが、やはり数年後に離婚している。二人はそれぞれジェームズ・ヘイヴン(英語版)、アンジェリーナ・ジョリーの名義で両親と同じ役者の道を選んでいる。

1978年、『帰郷』でアカデミー主演男優賞カンヌ国際映画祭男優賞を受賞し、人気俳優の仲間入りを果たした。その後も1985年の『暴走機関車』でゴールデングローブ賞を受賞するなど演技派俳優として活躍している。一方で役や作品を余り選ばない為か『アナコンダ』の様な映画に出演して評論家の不興を買い、ゴールデンラズベリー賞主演男優賞にノミネートされてしまった事もあり、助演男優賞でもしばしばノミネートの対象にされている。近年はドラマ作品での活躍が多く、2009年には大人気作品である『24 -TWENTY FOUR-』にジョナス・ホッジス役で出演している。

2013年、ドラマ『レイ・ドノヴァン ザ・フィクサー』で主人公の父ミッキー・ドノヴァン役を演じ、3度目のゴールデングローブ賞を受賞した。
エピソード

かつては
ベトナム戦争に反対するなどリベラル派だったものの[4]、今ではクリント・イーストウッドらと並んで共和党を支持する映画関係者として行動しているが、ハリウッドとリベラルとの橋渡し役とされるユダヤ系アメリカ人についてはキリスト教徒かつ右派でありながら同情的であり(なお共和党支持者やキリスト教右派は通常、親イスラエルなのであって、なにも不思議ではない。)、反ユダヤ主義に強く反対している。

2014年にイスラエルによるパレスチナ自治区へのガザ侵攻に対してハビエル・バルデムペネロペ・クルス夫妻らが空爆による一般人への被害が出ている事を指して「虐殺」と非難する声明を出すと、即座にこれを批判している。ハリウッド・リポーターのコラムの中で「私は本当に腹立たしく感じています」「今回の様な行動は世界での反ユダヤ主義を煽りかねません。その事をペネロペやハビエルの様な人たちは理解していないのです」と猛烈に非難し、署名に参加した人々にも激怒している[5]

ヴォイドの「反ユダヤ主義を扇動しかねない」という批判にハビエルは「私達はイスラエル軍の攻撃を非難していますが、イスラエルの人々に対しては敬意を抱いています」「私達は悲惨で痛ましい戦争を心から憎むと同じように、反ユダヤ主義を嫌悪しています」と声明にイスラエルやユダヤ教徒を攻撃する意図はないと説明している。ペネロペも「私はもちろん中東問題の専門家ではありませんが、この地域の複雑さも理解しています」と釈明している[5]



長女アンジェリーナ・ジョリーとは親子でアカデミー賞を受賞する快挙を成し遂げているが、幼い頃に離婚している事などから親子関係は不仲である。しかし娘もまた複数回の離婚経験を持っている。

政治的にも娘が難民受け入れを支持しているのに対し、不法移民対策を掲げるドナルド・トランプを「何と言っても彼は正直だよ」「偉大な大統領になる」と賞賛するなど[6][7]全く噛み合っていない。

娘がブラッド・ピットと三度目の結婚をした際にも結婚式に招待されなかったが[8]、そのピットと娘が離婚調停に入って虐待疑惑なども報道されると、娘と孫を心配するコメントをして親心を覗かせた[9]

脚本家の三宅隆太は第1回ゆうばり国際ファンタスティック映画祭で審査委員長として来日滞在したヴォイトが当時高校生であった娘を連れて来たのと交流を持った体験を著書(『スクリプトドクターの脚本教室・中級編』)に著しており、ある程度の雪解け時期もあったこともうかがわせる。


上述の『アナコンダ』出演時にプロモーションとして来日経験があり、2008年10月に行われた東京国際映画祭において審査委員長に就任した際にも来日している。

出演作品
映画

公開年邦題
原題役名
1967年墓石と決闘
HOUR OF THE GUNカーリー・ビル
スーパー・ヒーロー/Mr.フランク
FEARLESS FRANK
1968年青春の渚
OUT OF IT
1969年真夜中のカーボーイ
Midnight Cowboyジョー
1970年キャッチ22
Catch-22マインダーバインダー
1972年脱出
Deliveranceエド・ジェントリー
1974年オデッサ・ファイル
The ODESSA Fileペーター・ミラー
コンラック先生
Conrackパット・コンロイ
1977年殺意の行方
End of the Game
1978年帰郷
Coming Homeルーク
1979年チャンプ
The Champビリー・フリン
1982年大狂乱
Lookin' to Get Outアレックス・コヴァック
1983年5人のテーブル
Table for Fiveジェームズ・P・タネン
1985年暴走機関車
Runaway Trainマニー
1986年デザート・ブルーム/キノコ雲と少女
Desert Bloomジャック
1989年エタニティ 永遠の愛
Eternityエドワード/ジェームズ
1995年ヒート
Heatネイト
1996年ミッション:インポッシブル
Mission: Impossibleジム・フェルプス
1997年アナコンダ
Anacondaサローン
クロスゲージ
Most Wantedケイシー中佐
Uターン
U Turn
ローズウッド
Rosewoodジョン
レインメーカー
The Rainmakerドラモンド
1998年エネミー・オブ・アメリカ
Enemy of the Stateレイノルズ
フランダースの犬
A Dog of Flandersミシェル・ラ・グランデ
ジェネラル 天国は血の匂い


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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