ジョン・ロミータ・Jr
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このクリエイティブチームはスタークのボディガード兼ガールフレンドであるベサニー・ケイブ(英語版)[7]やライバルの実業家であるジャスティン・ハマー[8]といった脇役を生み出した。1980年代初頭には『アメイジング・スパイダーマン』誌に参加し、また新たに創刊された『ダズラー(英語版)』誌のアーティストも務めた。ロミータとライターのデニス・オニール(英語版)は『アメイジング・スパイダーマン』第210号(1980年11月)でマダム・ウェブ[9]、第212号(1981年1月)でハイドロマン(英語版)[10]を初登場させた。1982年にロミータはマーベルコミックで初めてのリミテッド・シリーズ(英語版)である『マーベルスーパーヒーロー・コンテスト・オブ・チャンピオンズ(英語版)』[11]の作画を務めた。『アメイジング・スパイダーマン』誌でライターのロジャー・スターン(英語版)と働いていた頃にはホブゴブリンを共同で創造した[12]。1983年から1986年までは『アンキャニィX-MEN』にダン・グリーン(英語版)とライターのクリス・クレアモント(英語版)と共に参加し、フォージ(英語版)を共同で生み出した[13]。ロミータは1993年にも『アンキャニィX-MEN』に復帰した[6]

1988年から1990年にかけてはライターのアン・ノセンティ(英語版)、インカーのアル・ウィリアムソン(英語版)と共に『デアデビル』を手がけ、タイフォイド・マリー(英語版)を創造した[14]。彼は後に「私がDDを手がけていた間、私が初めて作成プロセスの一部であったように最終的に感じた」と述べている[15]

1990年代には『アイアンマン』に復帰してジョン・バーン(英語版)脚本の「Armor Wars II」や『パニッシャー・ウォー・ゾーン(英語版)』[16]、ミニシリーズ『ケーブル[17]DCコミックスとの企業間クロスオーバー『パニッシャー/バットマン』を手がけた。この間にインカーのクラウス・ヤンソン(英語版)と頻繁に活動した[6]。1993年にロミータはフランク・ミラーとコラボレーションしてデアデビルのオリジンストーリー『Daredevil: The Man Without Fear』を手がけていた[18]。このストーリーは当初は64ページのグラフィックノベルであったが144ページに増加し、最終的に全5号のリミテッド・シリーズにまで大きくなった[15]。1998年7月にロミータはダン・ユルゲン(英語版)と共に『ソー[19]、1999年1月にはハワード・マッキー(英語版)と共に『ピーター・パーカー: スパイダーマン(英語版)』をリランチした[20]

2001年にロミータはスパイダーマンに復帰し、ライターのJ・マイケル・ストラジンスキーと共に『アメイジング・スパイダーマン』第2期第30号(2001年6月)より参加した[21]。このクリエイティブチームはアメリカ同時多発テロ事件への犠牲者への追悼の物語である第36号(2001年12月)を執筆した[22]。2004年から2005年にかけては『ウルヴァリン』、『ブラックパンサー』、『セントリー(英語版)』、『アルティメット・ビジョン』を手がけた[6]

2006年、ロミータはジャック・カービーエターナルズを再解釈したライターのニール・ゲイマンによる全7号のミニシリーズを手がけた[23][24]


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