ジョン・モルガン
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[17][18] また、この頃にモルガンはAT&T と人的・資本的関係を深めた。
ロンドン詳細は「JPモルガン・チェース#JPモルガン」を参照

1838年 - ピーボディ・アンド・カンパニー

1843年 - ジョージ・ピーボディ

1851年 - ジョージ・ピーボディ・アンド・カンパニー

1864年 - ジュニーアス・モルガンがピーボディのパートナーとなる

1864年 - J・S・モルガン・アンド・カンパニー

1910年 - モルガン・グレンフェル・アンド・カンパニー

1934年 - J・P・モルガン・アンド・カンパニー保有の株式が3分の1となる。のち1981年から翌年にかけてすべて売却

1989年 - ドイツ銀行がモルガン・グレンフェルを買収

ニューヨーク

1861年 - J・P・モルガン・アンド・カンパニー

1864年 - ダブニー・モルガン・アンド・カンパニー

1871年 - ドレクセル・モルガン・アンド・カンパニー

1895年 - J・P・モルガン・アンド・カンパニー

1935年 - グラス・スティーガル法を受け、J・P・モルガン・アンド・カンパニーは商業銀行になる。投資信託業務はモルガン・スタンレー・アンド・カンパニーに。(銀証分離

1940年 - J・P・モルガン・アンド・カンパニーが会社組織となる

1959年 - ギャランティ・トラストと合併、モルガン・ギャランティ・トラストとなる

1969年 - 持株会社制に移行。グラス・スティーガル法により分離されていた業務に再度進出[19]

私生活

モルガンは葉巻、とりわけハバナが好きで、日に1ダースほども喫煙した。
邸宅

モルガンの自宅はマディソン通りにあり、ニューヨークで初の電灯を備えた個人住宅であった。彼の新たなテクノロジーへの興味は、1878年トーマス・エジソンのエジソン電灯会社への融資からも見て取れる[20]。また、ニューヨーク州グレン・コーブのイースタン・アイランドを所有し、そこに別荘を持っていた。また、世界で初めて生ハムを盛り付けた人物としても有名である。
ヨット、コーセア(Corsair、海賊の意)号(2代目)。のちにアメリカ政府が購入し、「USSグロスター」(USS Gloucester、USS Gloucester (1891))と改名され、米西戦争に充当された。J. S. Johnston撮影。

モルガンは熱狂的なヨットファンとして、いろいろなサイズのヨットを所有していた。この場合のヨットは、大型で豪華なレジャーのための船である。「維持費を気にするような人間には、ヨットは買えない」という言はよく知られている。

このヨットは、経済界の機密会議に使われることもあれば、私的な女性関係に使われることもあった。

また、モルガンはタイタニックの実質的なオーナーであったため、初航海に乗船する予定であった。しかし、その直前になってキャンセル[21]。タイタニックはホワイト・スター・ラインが保有し、運航したものであるが、モルガン専用の特別室とプロムナードデッキがあった。

1913年3月31日、モルガンは旅行先のローマ グランドホテルで就寝中に死去した。76歳の誕生日の直前であった。50歳代から医者に不摂生をたしなめられ、生命保険の加入を求められないほどであったが、晩年でもなお葉巻を吸い、大食漢であった。モルガンに連なる人々は、プジョー委員会からの攻めによる精神的疲労が死因であると主張したが、現実の健康面はそのような状態であった。

モルガンの死にあたり4000を超す弔辞が寄せられ、ウォール街半旗を掲揚した。モルガンの遺体がウォール街を通過する間、株式市場は2時間閉鎖された[22]。遺体は、彼の生誕の地であるコネチカット州ハートフォードのセダー・ヒル墓地(Cedar Hill Cemetery (Hartford, Connecticut))に埋葬された[23]
モルガンと芸術作品

モルガンは書物、絵画、時計などの芸術作品の著名なコレクターであった。その多くはニューヨークメトロポリタン美術館に寄託、あるいは贈呈されている。モルガンはそのメトロポリタン美術館の設立に深く関わり、館長を務めた時期もあった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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