モルガンは葉巻、とりわけハバナが好きで、日に1ダースほども喫煙した。 モルガンの自宅はマディソン通りにあり、ニューヨークで初の電灯を備えた個人住宅であった。彼の新たなテクノロジーへの興味は、1878年にトーマス・エジソンのエジソン電灯会社
邸宅
モルガンは熱狂的なヨットファンとして、いろいろなサイズのヨットを所有していた。この場合のヨットは、大型で豪華なレジャーのための船である。「維持費を気にするような人間には、ヨットは買えない」という言はよく知られている。
このヨットは、経済界の機密会議に使われることもあれば、私的な女性関係に使われることもあった。
また、モルガンはタイタニックの実質的なオーナーであったため、初航海に乗船する予定であった。しかし、その直前になってキャンセル[21]。タイタニックはホワイト・スター・ラインが保有し、運航したものであるが、モルガン専用の特別室とプロムナードデッキがあった。 1913年3月31日、モルガンは旅行先のローマ グランドホテルで就寝中に死去した。76歳の誕生日の直前であった。50歳代から医者に不摂生をたしなめられ、生命保険の加入を求められないほどであったが、晩年でもなお葉巻を吸い、大食漢であった。モルガンに連なる人々は、プジョー委員会からの攻めによる精神的疲労が死因であると主張したが、現実の健康面はそのような状態であった。 モルガンの死にあたり4000を超す弔辞が寄せられ、ウォール街は半旗を掲揚した。モルガンの遺体がウォール街を通過する間、株式市場は2時間閉鎖された[22]。遺体は、彼の生誕の地であるコネチカット州ハートフォードのセダー・ヒル墓地 モルガンは書物、絵画、時計などの芸術作品の著名なコレクターであった。その多くはニューヨークのメトロポリタン美術館に寄託、あるいは贈呈されている。モルガンはそのメトロポリタン美術館の設立に深く関わり、館長を務めた時期もあった。
死
モルガンと芸術作品