ジョン・モルガン
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[16] ドレクセル・アンド・カンパニーはシ団の中心となったのである。

1892年、モルガンはエジソン・ゼネラル・エレクトリックとトムソン・ヒューストン・エレクトリックを合併、ゼネラル・エレクトリックを誕生させた。こうしてモルガンの自邸は個人の家として初めて電灯が灯った。

1900年ニコラ・テスラのすすめで、グリエルモ・マルコーニ無線通信実験にウォーデンクリフ・タワーの建設費を含めた15万ドルを融資した。条件は特許利益の半分。実験は大西洋をまたにかけて行われた。マルコーニの無線はやがて世界を席巻する。テスラは契約してすぐに欲を出した。事業を無線送電に拡大したいというのである。しかしモルガンは契約違反と解釈した。融資が途絶えて1906年にタワー廃業となった。[17][18] また、この頃にモルガンはAT&T と人的・資本的関係を深めた。
ロンドン詳細は「JPモルガン・チェース#JPモルガン」を参照

1838年 - ピーボディ・アンド・カンパニー

1843年 - ジョージ・ピーボディ

1851年 - ジョージ・ピーボディ・アンド・カンパニー

1864年 - ジュニーアス・モルガンがピーボディのパートナーとなる

1864年 - J・S・モルガン・アンド・カンパニー

1910年 - モルガン・グレンフェル・アンド・カンパニー

1934年 - J・P・モルガン・アンド・カンパニー保有の株式が3分の1となる。のち1981年から翌年にかけてすべて売却

1989年 - ドイツ銀行がモルガン・グレンフェルを買収

ニューヨーク

1861年 - J・P・モルガン・アンド・カンパニー

1864年 - ダブニー・モルガン・アンド・カンパニー

1871年 - ドレクセル・モルガン・アンド・カンパニー

1895年 - J・P・モルガン・アンド・カンパニー

1935年 - グラス・スティーガル法を受け、J・P・モルガン・アンド・カンパニーは商業銀行になる。投資信託業務はモルガン・スタンレー・アンド・カンパニーに。(銀証分離

1940年 - J・P・モルガン・アンド・カンパニーが会社組織となる

1959年 - ギャランティ・トラストと合併、モルガン・ギャランティ・トラストとなる

1969年 - 持株会社制に移行。グラス・スティーガル法により分離されていた業務に再度進出[19]

私生活

モルガンは葉巻、とりわけハバナが好きで、日に1ダースほども喫煙した。
邸宅

モルガンの自宅はマディソン通りにあり、ニューヨークで初の電灯を備えた個人住宅であった。彼の新たなテクノロジーへの興味は、1878年トーマス・エジソンのエジソン電灯会社への融資からも見て取れる[20]。また、ニューヨーク州グレン・コーブのイースタン・アイランドを所有し、そこに別荘を持っていた。また、世界で初めて生ハムを盛り付けた人物としても有名である。
ヨット、コーセア(Corsair、海賊の意)号(2代目)。のちにアメリカ政府が購入し、「USSグロスター」(USS Gloucester、USS Gloucester (1891))と改名され、米西戦争に充当された。J. S. Johnston撮影。

モルガンは熱狂的なヨットファンとして、いろいろなサイズのヨットを所有していた。この場合のヨットは、大型で豪華なレジャーのための船である。「維持費を気にするような人間には、ヨットは買えない」という言はよく知られている。

このヨットは、経済界の機密会議に使われることもあれば、私的な女性関係に使われることもあった。

また、モルガンはタイタニックの実質的なオーナーであったため、初航海に乗船する予定であった。しかし、その直前になってキャンセル[21]。タイタニックはホワイト・スター・ラインが保有し、運航したものであるが、モルガン専用の特別室とプロムナードデッキがあった。

1913年3月31日、モルガンは旅行先のローマ グランドホテルで就寝中に死去した。


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