ジョン・ポール・ジョーンズ_(ミュージシャン)
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ハーディ・ガーディ
活動期間1960年 - 現在
レーベルDiscipline Global Mobile
アトランティック・レコード
スワンソング・レコード
共同作業者レッド・ツェッペリン
公式サイト ⇒www.johnpauljones.com

ジョン・ポール・ジョーンズ(John Paul Jones、1946年1月3日 - )は、イギリスミュージシャン作曲家マルチプレイヤー。同国のロック・バンドレッド・ツェッペリンベーシストキーボーディストとして知られる。愛称は「ジョンジー」。身長173cm。
来歴
生い立ち

ケント州シドカップで生まれる。父親のジョー・ボールドウィンは、1940年代から1950年代にかけてアンブローズ・オーケストラなどのビッグバンドで、ピアニスト及びアレンジャーとして活躍した。彼の母親も音楽ビジネスに関わり、家族は共に英国中を演奏旅行出来る環境にあった。ジョンは、父親からピアノを習い、やがてビッグ・ビル・ブルーンジーブルースチャールズ・ミンガスジャズからラフマニノフのクラシック・ピアノまで興味を抱く。その後、ケント州のクライスト・カレッジ寄宿学校に入り、そこで正式に音楽を学ぶ。14歳で、地元の教会で聖歌隊指揮者兼オルガン奏者となった。同時期には、シカゴミュージシャン、フィル・アプチャーチを聴いた影響でフェンダー・ジャズベースを購入、以降1975年まで使い続けた。
音楽活動の開始

15歳の時に最初のバンド、ザ・デルタズに加わった。その後、ロンドンのジャズ/ロックバンド、ジェッツ・ブラックスでベーシストを務めた。彼の大きな転機は、1962年にジェット・ハリスとトニー・ミーハンに出会ったことだった。ジョンは、彼らのバンドで2年間演奏した。彼ら最大のヒット作「ダイヤモンズ」にはジミー・ペイジも参加していた。1964年になると、ジョンはミーハンの推薦でデッカ・レコードのセッション・ミュージシャンとなる。1964年?68年まで、彼は多数の編曲やキーボード、ベースの演奏をこなしていた。彼がレコーディングに参加したアーティストは、ローリング・ストーンズハーマンズ・ハーミッツミッシェル・ポルナレフドノヴァンジェフ・ベックキャット・スティーヴンスロッド・スチュワートシャーリー・バッシールルなど多数。ダスティ・スプリングフィールドとのセッションでは、彼女の「トーク・オブ・ザ・タウン」シリーズでベースで参加している。ドノヴァンの「サンシャイン・スーパーマン」での彼の演奏と編曲で、プロデューサーのミッキー・モストは自身の多くのプロジェクト、トム・ジョーンズニコ、ウェイン・フォンタナ、ザ・ウォーカー・ブラザースのレコーディングにジョーンズを参加させることを決心した。

ジョンはさらに、トニー・ミーハン及びジェット・ハリスの友人や、クリフ・リチャード・アンド・ザ・シャドウズとのレコーディングも行った。これらの録音の前に、クリフ・リチャード・アンド・ザ・シャドウズは歴史を変える間際にあった。彼らはジョンにベーシスト、ブライアン・ロッキングに代わって加入を呼びかけたが、ジョンは参加せず彼らは代わりにジョン・ロスティルを加入させた。

芸名の"ジョン・ポール・ジョーンズ"は、このセッションワーク時代から使い始めた。同名のアメリカ独立戦争の英雄を描いたアメリカ映画「ジョン・ポール・ジョーンズ」のポスターを見た友人から提案されたものである。
レッド・ツェッペリン時代詳細は「レッド・ツェッペリン」を参照


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