ジョン・ポール・ジョーンズ(John Paul Jones、1946年1月3日 - )は、イギリスのミュージシャン、作曲家、マルチプレイヤー。同国のロック・バンド、レッド・ツェッペリンのベーシスト、キーボーディストとして知られる。愛称は「ジョンジー」。身長173cm。 ケント州シドカップ 15歳の時に最初のバンド、ザ・デルタズに加わった。その後、ロンドンのジャズ/ロックバンド、ジェッツ・ブラックスでベーシストを務めた。彼の大きな転機は、1962年にジェット・ハリスとトニー・ミーハンに出会ったことだった。ジョンは、彼らのバンドで2年間演奏した。彼ら最大のヒット作「ダイヤモンズ」にはジミー・ペイジも参加していた。1964年になると、ジョンはミーハンの推薦でデッカ・レコードのセッション・ミュージシャンとなる。1964年?68年まで、彼は多数の編曲やキーボード、ベースの演奏をこなしていた。彼がレコーディングに参加したアーティストは、ローリング・ストーンズやハーマンズ・ハーミッツ、ミッシェル・ポルナレフ、ドノヴァン、ジェフ・ベック、キャット・スティーヴンス、ロッド・スチュワート、シャーリー・バッシー、ルルなど多数。ダスティ・スプリングフィールドとのセッションでは、彼女の「トーク・オブ・ザ・タウン」シリーズでベースで参加している。ドノヴァンの「サンシャイン・スーパーマン」での彼の演奏と編曲で、プロデューサーのミッキー・モストは自身の多くのプロジェクト、トム・ジョーンズ、ニコ、ウェイン・フォンタナ
来歴
生い立ち
音楽活動の開始
ジョンはさらに、トニー・ミーハン及びジェット・ハリスの友人や、クリフ・リチャード・アンド・ザ・シャドウズとのレコーディングも行った。これらの録音の前に、クリフ・リチャード・アンド・ザ・シャドウズは歴史を変える間際にあった。彼らはジョンにベーシスト、ブライアン・ロッキングに代わって加入を呼びかけたが、ジョンは参加せず彼らは代わりにジョン・ロスティルを加入させた。
芸名の"ジョン・ポール・ジョーンズ"は、このセッションワーク時代から使い始めた。同名のアメリカ独立戦争の英雄を描いたアメリカ映画「ジョン・ポール・ジョーンズ」のポスターを見た友人から提案されたものである。
レッド・ツェッペリン時代詳細は「レッド・ツェッペリン」を参照