ジョン・フォード
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低予算映画ながらスピーディーなアクション・シーンと馬車に乗り合わせた登場人物たちの群像劇が見事に観客の心を掴んで大ヒットを記録した。また、B級映画俳優だったジョン・ウェインをこの作品で主演に起用し、以降フォード作品に数多く主演することになる。

その後、ジョン・スタインベックピュリツァー賞作品を映画化した『怒りの葡萄』や19世紀イギリス・ウェールズ地方の炭鉱地帯を舞台にした家庭劇『わが谷は緑なりき』を発表。貧しくとも前向きに生きようとする家族の姿を力強く叙情豊かに描いて絶賛を浴びた。
海軍入隊と記録映画OSSの教育映画に出演するフォード(1943年)

元々海軍贔屓だったジョン・フォードは、1941年12月にアメリカが第二次世界大戦に参戦するとアメリカ海軍への入隊を志願し、後に戦略諜報局(OSS)の野戦撮影班へ『怒りの葡萄』の撮影監督グレッグ・トーランドらと共に参加した。

ミッドウェイ海戦では大日本帝国海軍の戦闘機が投下した爆弾の破片を受けて負傷したものの、海軍少佐として日本軍と対峙していた太平洋戦線や、ドイツイタリアと対峙していたヨーロッパ戦線へ赴いて戦争ドキュメンタリー映画の製作や構成に尽力し、彼ら野戦撮影班が制作したプロパガンダ映画(1942年『The Battle of Midway』、1943年『December 7th』)はアカデミー短編ドキュメンタリー映画賞を受賞した。

ジョン・フォードはまた、1944年ノルマンディー上陸作戦におけるオマハ・ビーチでの撮影にも参加している。なお2008年8月14日、米国立公文書館が公開した資料によって、モー・バーグや、俳優のスターリング・ヘイドンなどと同様に、ジョン・フォードがOSSのエージェントであった事が公になった[2]
第二次世界大戦後アメリカ海軍予備役提督の制服を着用するフォード(1952年)

第二次世界大戦後は、同じくプロパガンダ映画である『コレヒドール戦記』をはじめ、1946年にはOK牧場の決闘を描いた『荒野の決闘』を監督する。この作品はその後たびたびリメイクされて、西部劇映画の定番テーマとなった。

同年、映画製作者のメリアン・C・クーパーらと独立製作会社「アーゴシー・プロダクション」を設立し、監督兼製作者として、騎兵隊三部作の『アパッチ砦』、『黄色いリボン』、『リオ・グランデの砦』を発表。また1950年には、朝鮮戦争を扱った記録映画『This is Korea』(1951年公開)の撮影のために日本に立ち寄り、帝国ホテル淀川長治と対談している。

1934年の監督作『プリースト判事』をセルフリメイクした『太陽は光り輝く』(1953年)は、この時期の隠れた名作となっている。

その後、初のシネマスコープ『長い灰色の線』 (1955年)などを撮影、同年には、ブロードウェイのヒット舞台の映画化『ミスター・ロバーツ』で、主演のロバーツ役を演じ、舞台で5年間に通算1000回以上も同役を演じ自分の分身のように愛着を感じていたヘンリー・フォンダと意見の食い違いで対立、また撮影中に胆嚢炎で入院し無念の途中降板、残りの1週間分を代理としてマーヴィン・ルロイが務めることになった。試写会で完成度の高さを認められフォード&ルロイ共同監督として本編とポスターに記述されるに至った。
晩年

その後も初のビスタビジョン『捜索者』(1956年)や、黒人兵への敬意を描いた法廷劇『バファロー大隊』(1960年)、それまで敵として描いていたインディアンの立場から描いたオールスターキャストで初スーパーパナビジョン70mm大作『シャイアン』(1964年)、などを発表。『リバティ・バランスを撃った男』(1962年)では、エンターテイナーとしての衰えない手腕を見せている。1966年に『荒野の女たち』を最後に長編映画からは引退した。

ジョン・フォードが監督として最後に手がけた作品は、海兵隊の英雄ルイス・"チェスティ"・プラー将軍に関するドキュメンタリー『Chesty: A Tribute to a Legend』であった。

同作はジョン・ウェインをナレーターに迎えて1970年に制作されたが、公開されたのはフォードの死後3年が経過した1976年になってからだった。1973年8月31日に、カリフォルニア州の自宅で胃ガンのため逝去した。
作風

西部劇映画では、西部の荒野の厳しい自然風景を壮大なスケールで描き、荒野に生きる男の心情を情感豊かに表現する作風で知られる。そんな作風から詩情豊かな映像の詩人と呼ばれ、多くの西部劇傑作を生み出していることから西部劇の神様とも呼ばれている。

ジャンルは西部劇だけでなく、冒険活劇、コメディ、社会派、戦争映画など多彩であり、典型的なハリウッドの職人監督であった。モニュメント・バレージョン・フォードポイント

アメリカ西部にあるモニュメント・バレーは、ジョン・フォードお気入りの撮影スポットであり、『駅馬車』以降のほとんどの西部劇作品をこの地で撮影している。特にフォードがこのんでカメラを設置した場所はジョン・フォードポイントと呼ばれ、モニュメント・バレーを一望できる有名なビューポイントとなっている。また、『駅馬車』の撮影ではこの地に住む先住民族ナバホ族が生活に困窮しているのを聞いて、彼らを裏方やエキストラとして雇用させて生活を助けたというエピソードがある。

俳優は、ヘンリー・フォンダジョン・ウェインモーリン・オハラヴィクター・マクラグレンベン・ジョンソンジョン・キャラダインワード・ボンドなど、ジョン・フォードお気に入りの俳優を何度も起用していた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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