ジョン・ヒューストン
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全米映画批評家協会賞
監督賞
1985年『女と男の名誉』
ニューヨーク映画批評家協会賞
監督賞
1948年『黄金』
1956年白鯨
1985年『女と男の名誉』
ロサンゼルス映画批評家協会賞
生涯功労賞
1979年
AFI賞
生涯功労賞
1983年 映画界における功績に対して
英国アカデミー賞
フェローシップ賞
1979年
ゴールデングローブ賞
監督賞
1948年『黄金』
1985年『女と男の名誉』
助演男優賞
1963年枢機卿
その他の賞
全米監督協会賞
D・W・グリフィス賞
1982年ハリウッド名声の歩道
映画産業への貢献、映画・演劇両界における功績に対して

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ジョン・ヒューストン(John Huston [?hju?st?n]、本名: John Marcellus Huston、1906年8月5日 - 1987年8月28日)は、アメリカ合衆国映画監督脚本家俳優
生涯
幼少時代メキシコのen:Puerto Vallartaにあるヒューストン像

父親は俳優のウォルター・ヒューストンミズーリ州にて俳優一家に生まれ、3歳の時から舞台に立つ。ティーンエイジャーの頃はボクシングに熱中し、その後はメキシコを放浪して様々な職業に就いた。
脚本家から映画監督へ

後にハリウッドに落ち着いて脚本を書くようになり、『黒蘭の女』(1938年)や『ヨーク軍曹』(1941年)などの脚本を手がけてアカデミー賞ノミネート等の実績を積んだ後、1941年にダシール・ハメット原作の小説を映画化した『マルタの鷹』で監督デビューを果たした。『マルタの鷹』はハードボイルド、またはフィルム・ノワールの古典的作品となり、本作で主演を務めたハンフリー・ボガートを人気スターに押し上げた。

しかし、その頃から第二次世界大戦が激化するようになったことから1942年陸軍に入隊。通信隊に配属され、『アリューシャン列島からの報告』といった記録映画を4本監督した。
映画監督として

1948年、ハリウッドに戻ってワーナー・ブラザースのもとで監督した『黄金』と『キー・ラーゴ』が公開される。『黄金』は、その年のワーナー社における最大のヒット作となり、アカデミー監督賞脚色賞を受賞。父親のウォルター・ヒューストンにはアカデミー助演男優賞をもたらした。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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