哲学的には、レオン・シェストフから基礎をおっている[1]。シェストフとは、フョードル・ドストエフスキーとニーチェから哲学の出発をした哲学者であり、バタイユはシェストフの本を共訳でロシア語から訳してもいる(1924年)[2]。この頃から、シュルレアリストたちと行動を共にし始める。精神的に変調をきたし始め、アドリアン・ボレル(フランス語版)の精神分析の治療を始める(1925年から26年まで)。一年で打ち切られるが、ボレルがバタイユに書くように励まし勇気づけたことで、その結果『眼球譚』という作品が生まれる。1929年から雑誌『ドキュマン』の編集に携わり、グラヴィアを交えながら様々な論を展開する。西欧の観念論を批判し、シュルレアリストから非難を買うことになる。アレクサンドル・コジェーヴのヘーゲルに関する講義に、衝撃を受け、打ちのめされる[3]。ロード・オーシュ名義で発表された処女作「眼球譚」をはじめとして、トロップマン(『空の青』の登場人物名。Henri Troppmann。また、1869年頃に暗躍した大量殺人鬼の名前でもある。Jean-Baptiste Troppmann)、ルイ三十世、ピエール・アンジェリック等の様々な筆名を使ったことでも有名。
バタイユには、主として3つの作品群が存在する。
第一に、神秘主義的、内的体験的であり、ときに一貫する論理的(科学的)な整合性を欠きながら思弁される、思想的文章群。代表としては、戦間期に書かれた『無神学大全』三部作(『内的体験』、『有罪者』、『ニーチェについて――好運への意志』、タイトルの「無神学大全」の語は中世の哲学者トマス・アクィナスの『神学大全』のパロディ)がある。この三部作は、断片形式で書かれていること、主として従来では「神秘体験」と称されてきた「体験」――語ることの困難な体験――を論理的な整合性を欠きながらも、語っていることがその特徴にある。
第二に、バタイユがいうところの「学問的/科学的」に論理的明晰な、思想的文章群。『無神学大全』が「体験」を内在的に語るのに対して、ここでは外在的に、ときには歴史的に「体験」を探求している。『呪われた部分――普遍経済学の試み』(第一巻:『呪われた部分――有用性の限界』[4])、第二巻:『エロティシズムの歴史』、第三巻:『至高性』)が象徴的である。
第三に、小説群。これは『眼球譚』、『空の青』、『わが母』などである。
バタイユが思想的にとりわけ影響を受けたのは、1920年代に読み始めたフロイトおよびニーチェ、そしてコジェーヴの講義以降終生彼を捉えることとなるヘーゲル、そして西欧の神秘家たち(アンジェラ・ダ・フォリーニョ、ディオニシオス・アレオパギタ、アビラの聖テレサ、十字架の聖ヨハネ、etc.)である。
神秘主義に傾倒する前は共産主義を伝統的な(制度的)至高性souveraineteに最も対抗できる運動として称揚し、1931年から後のフランス共産党の創設者の一人ボリス・スヴァーリヌ(フランス語版)率いる「民主共産主義サークル」のメンバーになるなど革命的知識人の側面があった。この団体が解散された1934年でも一時的にトロツキスト団体に加入したことがあるが、バタイユはこの頃に「内的体験」や「瞑想の方法」に目覚めたとされる。
また、ニーチェ研究者としては、ナチスによるニーチェ思想の濫用を早い段階から非難し、著作においてマルティン・ハイデッガーを「(主体的な)至高性が足りない」「ドイツの教授先生」などと批判していた。 ジャック・デリダ(『エクリチュールと差異』にバタイユ論がある[5])やミシェル・フーコー(『侵犯の思考』というバタイユ論がある[6])への影響は見逃せない。
影響