ジャック・デリダ(『エクリチュールと差異』にバタイユ論がある[5])やミシェル・フーコー(『侵犯の思考』というバタイユ論がある[6])への影響は見逃せない。また、フーコーはガリマール版『バタイユ全集』の序文に「Bataille est un des ecrivains les plus importants de son siecle(バタイユは今世紀の最も重要な書き手の一人である)」と記した[7]。バタイユと親交のあったモーリス・ブランショは、文学、思想、政治論などのあらゆる著作のなかでバタイユを参照している。その他、ジャン・ボードリヤールの経済思想は、バタイユの思想を踏襲・継承して展開される[8]。政治哲学者として有名なジョルジョ・アガンベンにおける「動物」と「人間」に関する考察は、バタイユからの影響が強く、アガンベン自身もそれを自覚的にバタイユを扱っている[9]。
生涯
1897年、ビヨムに生まれる。
1908年、ランスのリセに入学するも1913年中退し、エペルネーのコレージュに入学。
1914年、カトリックに入信。
1916年、第一次世界大戦に動員されるが、肺結核を患う。
1918年、パリに移転し、国立古文書学校に入学、1922年に卒業し、国立図書館司書に任命される。
1928年、女優シルヴィア・バタイユ
詳しくは、ミシェル・シュリヤ『G・バタイユ伝』上・下(西谷修ほか訳 河出書房新社、1991年)や酒井健 『バタイユ入門』(筑摩書房、1996年)などを参照。 訳書刊行は、1950年代からが始まり『蠱惑の夜(C神父)』、『エロティシズム』、『文学と悪』などが出版、再刊もあり読まれ続けている。著名な『眼球譚』と『マダム・エドワルダ』は、1967年に生田耕作が初訳出版(度々改訳)。1969年から1973年にかけ二見書房で『ジョルジュ・バタイユ著作集』全15巻が刊行した(新版も再刊)。 新訳版は2020年代現在まで、筑摩書房・ちくま学芸文庫や河出書房新社・河出文庫、平凡社・平凡社ライブラリー、光文社・光文社古典新訳文庫で、他にも大学出版局、月曜社などで出版されている。
主要著作
1920年代に書かれた著作・論考・文学作品[10]
『眼球譚』 "Histoire de l'?il"
『W.C.』
1930年代に書かれた著作・論考・文学作品
雑誌『ドキュマン』(1929-1931)所収の各論文(日本語訳『ドキュマン』バタイユ著作集第11巻、2002年(第八版))
『太陽肛門』(1931)
雑誌『社会批評』所収の各論文(ex. 「ヘーゲル弁証法の根底批判」(1932年3月)、「消費の概念」(1933年1月)、「国家の問題」(1933年9月)、「ファシズムの心理構造」(1933年11月、および1934年3月)
『空の青』(1934年) "Le Bleu du ciel"
雑誌『アセファル』所収の論考
『社会学研究会』(聖社会学)で発表した論考(講演含む)
1940年代に書かれた著作・論考・文学作品
『内的体験』「『無神学大全』1」(主要部分は、1941-1942に書かれた。刊行は43年。)L'experience interieur
『マダム・エドワルダ』(1941年12月)
『有罪者』「『無神学大全』2」(1944年出版)
『ニーチェについて――好運への意志』「『無神学大全』3」(1945年2月出版)
『有用なものの限界』(1930年代後半から45年までに書かれた草稿)
『呪われた部分――有用性の限界』「『呪われた部分――普遍経済の試み』1」(45-49年に書かれた。49年に刊行)
『宗教の理論』(推定48年頃に書かれた。生前刊行されず、1974年にガリマールから刊行。)
1950年代に書かれた著作・論考・文学作品
『C神父』(1950年)
『エロティシズムの歴史』「『呪われた部分――普遍経済の試み』2」(51年頃に書かれる。『呪われた部分』の第二巻となるよう予定されていた草稿。)
『ラスコー』(1953年から執筆され、55年に刊行。)
『マネ』(1953年から執筆され、55年に刊行。)
『わが母』(1954-55に書かれた。)
『文学と悪』(1957年ガリマールから出版。)
『エロティシズム』(1957年ミニュィ社から出版。)
1960年代に書かれた著作・論考・文学作品
『エロスの涙』(61年出版)
日本語訳
『バタイユ書簡集 一九一七?一九六二年』(岩野卓司ほか全10名訳、水声社、2022年)がある。