一方、ソレル自身はあくまでマルクス主義理論家であった。ソレルはイタリアのマルクス主義の父アルトゥール・ラブリオーラ(イタリア語版)と親交を持っていて、フランス語に翻訳された「歴史の唯物論概念」についてのラブリオーラのエッセイに序文を書いている。さらには主著の『暴力論(『暴力に関する考察』) Reflexions sur la Violence, 1908年』第五版の付録として、《レーニンのために Pour Lenine 》という題の論文を書いて憲法制定会議をボイコットして社会主義を宣言したレーニンの行為を弁護し、ロシア革命を讃えている。しかしながらレーニンは「ソレル、何と悪名高い草稿!」とソレルの言動には全く否定的だった。
彼の著書はヴィルフレド・パレート及びベネデット・クローチェに絶賛され、彼の思想はカトリック・反民主主義の政治傾向(例えばカール・シュミットなど)、特にファシズムには絶大な影響を与え、ムッソリーニは「ファシズムの精神的な父」「私の師」「私自身はソレルに最も負っている」と発言している[3][4][5]。また、ヴァルター・ベンヤミンが著した『暴力批判論』はソレル『暴力論』の影響を受けている。
日本語訳
暴力の倫理 小野十三郎訳. 金星堂, 1928. 社会科学叢書
暴力考 西川勉訳. 中央公論社, 1929.
マルクス説の崩解 百瀬二郎訳 世界大思想全集 春秋社、1930
暴力論 木下半治訳 1933 岩波文庫
進歩の幻想 川上源太郎訳 「現代思想2」ダイヤモンド社 1974年
『ドレフュス革命』稲葉三千男訳、創風社、1995年
新訳『暴力論』今村仁司、塚原史訳、岩波文庫、2007年
『プロレタリアートの理論のために マルクス主義批判論集』上村忠男・竹下和亮・金山準訳、未來社「転換期を読む」、2014年
参考文献
川上源太郎『ソレルのドレフュス事件―危険の思想家、民主主義の危険』 中公新書、1996年
参照^ Zeev Sternhell:The Birth of Fascist Ideology:From Cultural Rebellion, 2001, pp.92
^ 大杉栄『ベルグソンとソレル』二 ソレルとセンディカリスム
^ Mediterranean Fascism 1919-1945 Edited by Charles F. Delzel, Harper Rowe 1970, page 3
^ Schreiber, Emile. L’Illustration, No. 4672 (September 17, 1932).
^ Versluis, Arthur.The New Inquistions. Oxford University Press, 2006.
関連項目
アゴスティーノ・ランツィッロ
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