ジョルジャ・メローニ
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1996年にはイタリアの独裁者ベニート・ムッソリーニを、2020年にはナチスの協力者でMSIの共同創設者ジョルジオ・アルミランテを賞賛するなど、物議をかもす意見を表明している[6]
来歴
初期の経歴

1977年1月15日イタリア共和国の首都ローマに生まれる[7]。両親がそれぞれメッツォジョールノ(南イタリア)の島嶼部出身(父はサルデーニャ島、母はシチリア島)という家庭に育っている。熱烈なイタリア共産党の支持者だった税理士の父親は彼女が幼い頃に妻子を捨ててスペインのカナリア諸島へ移住した。学生時代から母親の政治思想の影響を強く受けネオ・ファシズムを掲げる極右政党のイタリア社会運動(MSI)を支持し、15歳の時にはMSIの党青年団「青年戦線」(Fronte della Gioventu)に入会して[7]左翼民主主義者によるジュリアーノ・アマート政権への反政府運動で頭角を現した。1994年、MSIが国民同盟(AN)に再編されると党学生団「学生行動」(Azione Studentesca)に加わり、1996年から学生団の指導者となった。

観光業・ホテル業を学べる職業高校アメリゴ・ヴェスプッチ学校を最優秀の成績で卒業後[8]ウェイトレスや有名な男性マルチタレントのロザリオ・フィオレッロの娘のベビーシッター、そしてローマの人気クラブであるハイパーのバーテンダーとして働きながら政治活動に取り組んだ。1998年、ANのローマ県党支部で評議員に選出された。2000年、ANの党青年団「青年行動」(Azione Giovani)の全国指導者に就任、2004年から党青年団の書記長となった。

2006年4月4日、MSI時代に党青年団指導者から議員に推された経験を持つジャンフランコ・フィーニ書記長に引き立てられ、同年の総選挙ラツィオ州第1比例区から党公認で下院選に出馬、29歳の若さで初当選した[7]2007年、国民同盟とフォルツァ・イタリアが合流して結成された自由の人民(PdL)が設立されると、PdLの党青年団「若きイタリア」の書記長に就任した[9]

2008年、総選挙ではラツィオ州第2比例区で再選、第4次ベルルスコーニ政権が成立すると青年政策に関する無任所大臣に抜擢されて初入閣した[7]。31歳での大臣就任はリソルジメント以来の最年少記録となっている[9]。2010年11月、青年層に向けた3億ユーロ相当の経済支援案を提示した。
イタリアの同胞

2012年、ベルルスコーニの汚職問題を契機にPdLから旧AN系議員が大量離脱する中、自身もPdLを離党した。離党後はマリオ・モンティ政権を支持したフィーニ派のイタリアのための未来と自由(FLI)には合流せず、4名の議員と政治グループとして「イタリアの同胞」(Fratelli d'Italia)を結党した。メローニはイニャツィオ・ラ・ルッサ(イタリア語版)元国防相のグループ「国民中道右翼」(Centrodestra Nazionale)と合流してイタリアの同胞・国民中道右翼(FdI?CN)を結党し、新党の副党首に就任した。

2013年、共和国議会総選挙では故郷のラツィオ州から北部のロンバルディア州第3比例区に選挙区を移し、下院議員として3期目を迎えた。FdI全体も中道右派連合に参加して約60万票を獲得して下院議員9名が当選した。2014年、ルッサから党首の座を引き継ぎ、党名をイタリアの同胞・国民同盟(FdI-AN)に改称した。旧AN系・MSI系政党の再結集を図る意向を示し、党青年団「国家青年(英語版)(Gioventu Nazionale)」を設置するなど組織固めを進め、同年の欧州議会選挙では議席獲得は果たせなかったもののイタリア全土で約100万票を集めている。

2016年、中道右派連合からローマ市長候補に擁立されたが、現在のパートナーでジャーナリスト兼司会者のアンドレア・ジャンブルーノとの間に出来た娘ジネウラの妊娠中に出馬したことなどが響いて右派票を固めきれず、同じ女性政治家で五つ星運動に所属するヴィルジニア・ラッジに敗れた。2017年、マッテオ・レンツィ政権の総退陣につながった憲法改正投票に、党として反対票を投じている。

2018年、共和国議会総選挙では党名をイタリアの同胞(FdI)に戻すことを発表した。本選挙では小選挙区制が復活したことからラツィオ州の第7小選挙区(ラティーナ県)に中道右派連合の公認を受けて出馬、約40%の票を得て当選した。下院議員33名・上院議員17名が選出されたFdIは議会の第5党となり、一度は空中分解状態に陥っていた旧国民同盟勢力を着実な組織運営で纏めなおし、イタリア社会運動時代の党勢にまで回復させている。選挙後に成立した五つ星運動同盟による連立政権には加わらなかったものの、ポピュリズムと距離を取るベルルスコーニのフォルツァ・イタリアとも一線を画して閣外協力の姿勢を取った。

2019年、同年の欧州議会選ではFdIの得票が制限条項を上回って議席を獲得、地方選でもアブルッツォ州の州知事選で勝利を収めるなど躍進が続いた。同年、五つ星運動が民主党の左派連立が成立すると中道右派連合の所属政党と共に野党として活動した。

2020年、マッテオ・サルヴィーニシルヴィオ・ベルルスコーニらとアルフォンソ・ボナフェデ(英語版)法務相の再任に反対票を投じている。

2021年、欧州や南米の反左翼政党によるマドリード憲章(英語版)にFdI党首として署名した。

2022年9月25日執行の総選挙ではFdIが第一党となり、イタリア初の女性首相となることが確実になった[10]。10月21日にセルジョ・マッタレッラ大統領からの首相候補指名を受諾し、22日に政権が発足した[11]
政治思想

観測筋は、メローニの政治的立場を極右と評している[12] [13]スペクテイター誌のNicholas Farrellとのインタビューで、メローニは自分の政治が極右であるという説を否定し、反対派による中傷キャンペーンだと呼んだ[14]。さらに、メローニはハードライト[15]右翼ポピュリスト[16][17]ナショナリストと評されてきた[18] [19]。メローニは、ハンガリー首相でフィデス=ハンガリー市民同盟のリーダーであるオルバーン・ヴィクトル、フランスの国民連合、スペインのVoxといった極右に近いと言われている[20]


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