表立ってあまり公言はしていないものの、ザ・キンクスのファンであり特にレイ・デイヴィスに対して敬意を表している。「ガキの頃にユー・リアリー・ガット・ミーを聴いて全てが決まった」と語っている。また「PILのあるレコーディング中にアレンジで行き詰まった時、誰かに“キンクスみたいにやったらどうだ?”と言われたんだが“いつの時代のキンクスだよ??レイ・デイヴィスの作風の幅の広さを分かってないくせに!”って反論したよ」とかなりのマニアぶりを伺わせる発言もある。
グレン・マトロックと共にスウェーデン出身の音楽グループABBAのファンであり、「大好き」と公言している。
パブリック・イメージ・リミテッド結成当初からドイツの音楽グループ、クラフトワークに注目していたようで、ファンである事も明かしている。
歌詞・主張マネージャーを務めた晩年のマルコム・マクラーレン (2009年)
セックス・ピストルズ時代、マネージャーのマルコム・マクラーレンに「Submission(=服従、屈服)」に関しての詞を提案しろと言われたライドンが後日持って来た詞は「Sub Mission(潜水艦の任務)」に関しての提案(艇案)であった。
ピストルズの社会風刺の効いた過激でストレートなメッセージ性の強い歌詞はライドンの手によるもので、「アナーキー・イン・ザ・U.K.」での“アンチ・キリスト”発言(キリスト教圏内ではありえないタブー)や「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」では“女王は人間じゃない”“王室は民衆を白痴にする”などの痛烈な王室制批判など過激な歌詞をぶちまけている。
これらの歌詞や言動によって、ライドンは右翼や国家警察の目の敵となり、ピストルズ時代の1977年6月に国粋主義者に襲われ[5]、ナイフで足や左手の平を貫通するほどの怪我を負っている。この後遺症で左の拳が握れず、ギターも弾けなくなった。警察にも幾度となく家宅捜索や別件逮捕をされ、そのため2007年現在もイギリスからアメリカに居住を移したままである。ライドンはイギリスの保守派全般に危険人物とみなされた。
ライドンは「俺たちの(若い時期の)人生の大部分をサッチャー政権時代が占めており、それに目一杯抵抗する事がピストルズの役目であり挑戦だった。自分たちでもそれなりに精一杯やったと思うよ」と述べている[29]。
楽曲「ライズ」について「この曲は20年くらい前に書いたもので、ネルソン・マンデラと当時の南アフリカ警察の拷問の手法について扱ったものなんだ。だから俺には本当に痛みの伴う作品なんだ」と述べている[30]。
2013年に再結成PILとして北京と上海で行う公演のため中国に入国する前に、当局から「これまでの歌詞を全て提示するよう」要求されている[31]。ライドンは「政府にこれまで書いた歌詞を全て見せろと言われた。驚いたことに許可が下りた。相当趣味が良いか、そもそも俺が何やってるのか分かってないかのどっちかだ」と述べている[31][32]。
交友関係同僚だった故シド・ヴィシャス(B) 1978年
アメリカのテレビ番組でシド・ヴィシャスに関してコメントを求められた時は、「ピストルズなんて聴いた事ないんだろ?」と悪態をつきながらも、「あの頃はみんな自分の事だけで精一杯で、誰もあいつを助けてやれなかったんだ」と言って涙を見せた。ジョンにとって、シドは悪ガキ時代の大切な仲間だった。
ザ・フーのピート・タウンゼントは映画「クアドロフェニア」の主演の最初の候補に、ジョニー・ロットンを想定していたと語っている[33]。また、ライドンは、ピート・タウンゼントにはアマチュア時代から目を掛けてもらっており「ピートは俺にとって父親の様な存在だ!」と述べている。ピート・タウンゼントも「ジョンは凄いダイアモンド。インテリで頭がキレる」と絶賛している。
ローリング・ストーンズについては 「まあ、頑張ってほしいよ。ストーンズは俺の敵じゃない。ミック・ジャガーは俺たちにとってはすごくいい事をいくつかやってくれてて、初期のセックス・ピストルズでシドが面倒ばっかり起こしてた頃、ミックが裏で動いてくれてて、俺たちに弁護士やらいろんな事を紹介してくれてて、当時の俺たちにはできるはずのなかった事を提供してくれてたんだ」と述べている[34]。
ピンク・フロイドのシド・バレット、デヴィッド・ギルモアやロジャー・ウォーターズとも親交があり、マリブの邸宅は近所なのでよく連れだってリムジンに同乗し、パーティーに出かけたりしている。ニューズ・ウィークのインタビューでライドンは、ドナルド・トランプやグリーン・デイなどについて語っている。 妻は音楽プロモーターだったノラ・フォースター
婚姻関係
妻ノラは法的には結婚をしていないことを明かしているが、彼女の事は妻だと紹介している。ノラはライドンより14歳年上で、前夫(ドイツ歌手フランク・フォースター)との間にできた娘はスリッツのボーカリスト、アリ・アップである。また、ノラはドイツの大手出版業者の資産家の娘で、ライドンは彼女の資産を運用し、不動産開発業者になったと噂があるが、事実はライドンがイギリスの日刊紙ザ・サンに冗談で発言したものが広まって行っただけである[35]。
1988年12月21日に起こったパンアメリカン航空103便爆破事件のロンドン発ニューヨーク行き便に搭乗予定だったが、妻ノラの荷造りが間に合わず乗り遅れ、結果的に命拾いをした[36]。
2010年、義娘アリ・アップが乳がんで亡くなる。彼女には3人の子供(義孫になる)がおり、ノラと共に後見人となった[37]。
2020年、コロナによる世界的パンデミックの最中、ジョン・ライドンは『ミラー』紙で近況について語っている。その中のインタビューでは、妻のノラがアルツハイマー病を患い、専門家を頼りつつフルタイムでの介護を行なっていると答えていた[38]。そして2023年4月、妻が亡くなった訃報を伝えた[39]。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ プラントは70年代、『黄金の神』というニックネームを持っていた。
出典^ Lydon, John (2014). Anger Is An Energy: My Life Uncensored. Simon & Schuster. .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-1471137198
^ “ ⇒Rocklist.net...Q Magazine Lists..”. Q - 100 Greatest Singers (2007年4月). 2013年5月21日閲覧。