ジョニー・ロットン
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2008年6月4日、リアリティ番組の収録中ライドンに暴力を振るわれたとして、番組の女性プロデューサーが、米ロサンゼルスの裁判所に訴えた[20][21]
人物

反抗的で不良じみたスタイルをまとってはいるものの、聡明な一面を持っており、英国及びその隣国の現代史をテーマにした番組に出演した際、「英国を偉大なものにしたのは何か?」というテーマに対し、「俺だろ」とわざとシニカルに振舞った。

猫背は幼い頃に打った脊髄注射の影響で、睨み付けるような目つきはそうしないと焦点が合わないためであり、髄膜炎の後遺症である。

音楽について「音楽は俺の全てなんだ」と述べる一方で「昔から一貫して(音楽)ビジネスってヤツを否定的にしか見られない」と述べている[22]

攻撃的なスタイルである一方、病の後遺症の回復に尽くしてくれたこともあり、大変な母親思いという一面も持っている。
音楽の趣向ピストルズ時代の衣装

ピストルズ以降の音楽活動では、PILでポストパンクの先陣を切って以降、オルタナティヴ・ロック、ポップ、ダンスなど、パンクにとらわれない幅広い音楽性を展開して来た[5][12]。母親が音楽ファンであり、少年時代から様々な音楽に触れて来ている。

1970年代後半、それまでのイギリス、そして世界のロックシーンを支配していたレッド・ツェッペリンピンク・フロイドロッド・スチュワート、などは「コーポレート・ロック」「オールド・ウェイブ」「ダイナソー・ロック」とレッテルをはられ、嘲笑された。このころにライドンはレッド・ツェッペリンのボーカル、ロバート・プラントの前にふざけてひざまつき、神の如く拝める仕草をし[注釈 1]、プラントに頭を蹴られそうになったことがある。しかしレッド・ツェッペリンそのものの音楽性は好みだといい(主に後期ツェッペリン)、後年になるとプラントの作詞能力を認める発言もしている。特に「カシミールの様な歌詞は俺には書けない」とプラントに告白している。本人曰く「フィジカル・グラフティこそ最高だ!」とのこと。2012年1月のアメリカにおけるトークショー[23]では同バンドのレコード数枚は素晴らしく、メンバー数名も個人的に知っていて良いやつらだと語っている。

ピンクフロイドについては後年「俺は初期のピンクフロイドが大好きなんだ。勿論、70年代のいくつかの作品も好きだけどな」と語っている。特にシド ・バレットに対する評価は常に好意的なものである。

ジョン・レノンのことは非常に高く評価しており、彼の「労働者階級の英雄」に影響を受けてピストルズの詩作を始めたと明言している。また、ポール・マッカートニーについても「彼の事は好きだ。長年に渡っていい曲を書いてるんだ。ロックの歴史であの位置にいるのは当然さ」と評している[24]。またライドンは、フォーク・シンガーのロイ・ハーパーのファンでもある[25]。クリスチャン・バンドのU2については、「存在すべきじゃないバンド。あいつらの曲には人生経験なんかない」と評している[24]。また「コールドプレイレディオヘッドにはイライラする。魂がこもってない。無意味にしかみえない。ナイスだがただの戯言だ」と発言している[26]。タワー・レコードのバウンス誌が過去に報道したところでは、ライドンはエンゲルベルト・フンパーディンクのファンでもある。

女性ヴォーカルバンドや女性ミュージシャンが大好きでシンディー・ローパーとは特に仲が良い。PIL時代、96年ピストルズ再結成時を通じてツアーの前座には新人女性ミュージシャン&バンドを起用し、ソニック・ユースシュガーキューブスL7などがブレイクを果たしている。PIL時代は開演前のBGMもダイアナ・ロスマドンナなどを流していた。レディ・ガガを知性に裏付けられた独創性があると讃え(彼女のヒット曲、“Paparazzi” などを例に)[27]ケイト・ブッシュの声域が非常に高いにもかかわらず「本当に心に響いた」とも褒めている[28]

レディ・ガガについて「彼女は最高だよ。「パパラッチ」は2009年の傑作の1つだと思っている。彼女は面白くて頭がいい」と評している[24]。マドンナについては「しけててがむしゃらで真面目くさってる。彼女は好きじゃない。面白くないからな」と評している[24]

表立ってあまり公言はしていないものの、ザ・キンクスのファンであり特にレイ・デイヴィスに対して敬意を表している。「ガキの頃にユー・リアリー・ガット・ミーを聴いて全てが決まった」と語っている。また「PILのあるレコーディング中にアレンジで行き詰まった時、誰かに“キンクスみたいにやったらどうだ?”と言われたんだが“いつの時代のキンクスだよ??レイ・デイヴィスの作風の幅の広さを分かってないくせに!”って反論したよ」とかなりのマニアぶりを伺わせる発言もある。

グレン・マトロックと共にスウェーデン出身の音楽グループABBAのファンであり、「大好き」と公言している。

パブリック・イメージ・リミテッド結成当初からドイツの音楽グループ、クラフトワークに注目していたようで、ファンである事も明かしている。
歌詞・主張マネージャーを務めた晩年のマルコム・マクラーレン (2009年)

セックス・ピストルズ時代、マネージャーのマルコム・マクラーレンに「Submission(=服従、屈服)」に関しての詞を提案しろと言われたライドンが後日持って来た詞は「Sub Mission(潜水艦の任務)」に関しての提案(艇案)であった。

ピストルズの社会風刺の効いた過激でストレートなメッセージ性の強い歌詞はライドンの手によるもので、「アナーキー・イン・ザ・U.K.」での“アンチ・キリスト”発言(キリスト教圏内ではありえないタブー)や「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」では“女王は人間じゃない”“王室は民衆を白痴にする”などの痛烈な王室制批判など過激な歌詞をぶちまけている。

これらの歌詞や言動によって、ライドンは右翼や国家警察の目の敵となり、ピストルズ時代の1977年6月に国粋主義者に襲われ[5]、ナイフで足や左手の平を貫通するほどの怪我を負っている。この後遺症で左の拳が握れず、ギターも弾けなくなった。警察にも幾度となく家宅捜索や別件逮捕をされ、そのため2007年現在もイギリスからアメリカに居住を移したままである。ライドンはイギリスの保守派全般に危険人物とみなされた。

ライドンは「俺たちの(若い時期の)人生の大部分をサッチャー政権時代が占めており、それに目一杯抵抗する事がピストルズの役目であり挑戦だった。自分たちでもそれなりに精一杯やったと思うよ」と述べている[29]

楽曲「ライズ」について「この曲は20年くらい前に書いたもので、ネルソン・マンデラと当時の南アフリカ警察の拷問の手法について扱ったものなんだ。だから俺には本当に痛みの伴う作品なんだ」と述べている[30]

2013年に再結成PILとして北京と上海で行う公演のため中国に入国する前に、当局から「これまでの歌詞を全て提示するよう」要求されている[31]。ライドンは「政府にこれまで書いた歌詞を全て見せろと言われた。驚いたことに許可が下りた。相当趣味が良いか、そもそも俺が何やってるのか分かってないかのどっちかだ」と述べている[31][32]
交友関係同僚だった故シド・ヴィシャス(B) 1978年

アメリカのテレビ番組でシド・ヴィシャスに関してコメントを求められた時は、「ピストルズなんて聴いた事ないんだろ?」と悪態をつきながらも、「あの頃はみんな自分の事だけで精一杯で、誰もあいつを助けてやれなかったんだ」と言って涙を見せた。ジョンにとって、シドは悪ガキ時代の大切な仲間だった。

ザ・フーのピート・タウンゼントは映画「クアドロフェニア」の主演の最初の候補に、ジョニー・ロットンを想定していたと語っている[33]


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