「The Kids」をリードギタリストとして率い、イギー・ポップの前座も務めた。バンドは商業的に成功を収め、さらに活動を本格化させるべくロサンゼルスに活動拠点を移し「Six Gun Method」と改名。さまざまなバンドとコラボレーションを行った[11]。
近年では、オアシスやローリング・ストーンズのレコーディングにもギターで参加したほか、1995年にはバットホール・サーファーズのギビー・ヘインズとともに「P」というバンドを結成し、CDを発売した。ストーンズのキース・リチャーズは、「ジョニーは、自分で思ってるよりギターが上手くて、俺はたぶんジョニーが思ってるよりギターが下手だと思う」と語っている[12]。ちなみに2人は、1995年にキースの息子の仲介によって出会った[12]。
2010年には、イギリスのインディーズロックバンド・ベイビーバードのアルバムにも参加し、PV撮影の監督も行い、さらには自らのレコードレーベル「UNISON MUSIC」を設立し、新人発掘を行っているという[13]。
2012年10月には、大手出版社ハーパーコリンズとともに出版レーベル「インフィニタム・ニヒル」(デップの映画製作会社と同名)を設立し、最初の出版物としてボブ・ディランの評論『The Unraveled Tales of Bob Dylan』(ダグラス・ブリンクリー著)をリリースした。
一方で、俳優が知名度を利用して音楽活動をする行為は嫌悪しており、本格的な音楽活動をすることはないと語っている[14]。
2015年、アリス・クーパー、ジョー・ペリーとともにスーパーグループ「ハリウッド・ヴァンパイアーズ」を結成。9月11日、同名のスタジオアルバムをリリースした。以降、断続的に活動し、2019年には4年振りの2ndアルバムを発表している[15]。
2020年、ロックギタリストのジェフ・ベックとコラボレーションを開始。共作によるカヴァー作品を発表した[16]。
2020年には上記のカヴァー曲を含むスタジオアルバム「18」をジェフ・ベック&ジョニー・デップ名義でリリース。これはジェフベックの最後のスタジオ・アルバムとなった。 20歳のときに25歳のメイクアップ・アーティストのロリ・アン・アリソン
初期の俳優活動
そのとき、彼女の元恋人であったニコラス・ケイジと知り合い、ケイジから俳優への転身を勧められた。その後、ニコラス・ケイジの勧めで、付き添いとして足を運んだオーディションの会場で出演の打診を受け、1984年にホラー映画『エルム街の悪夢』で初出演。さらにその後はニコラス・ケイジの紹介で『プラトーン』の端役などで経験を積んだ。当初は俳優の仕事に対して消極的であったデップだが、尊敬する俳優のフレデリック・フォレストとの共演が転機となり、本格的に俳優への道を歩み出す。
製作側の説得によりフォックス放送のテレビシリーズ『21ジャンプストリート』に主演し、一躍ジュニアアイドルとして脚光を浴びる。それでも自分が商品として扱われることやテレビドラマでの役のイメージに縛られることを恐れたため、活動の場を映画のみとすることに決めた。
映画俳優として「Cannes Film Festival」にて (1992年)
1990年公開の『クライ・ベイビー』で映画初主演を果たし、同年公開の『シザーハンズ』は大ヒットするが、その後の出演作品の興行収入と知名度は付随しなかった。しかし、『ギルバート・グレイプ』などのヒューマンドラマや『エド・ウッド』といった伝記映画に立て続けに出演し、俳優としての実力を身につけた。
俳優業のかたわら、親族の出自(彼の母方の曾祖母は純血のチェロキー族であり、父も同じくチェロキー族の血を引く)からインディアンの問題に関心を持っていたデップは、1997年、マーロン・ブランドを招聘し映画『ブレイブ』を監督した。
1999年、これまでの功績が認められハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに名前が刻まれる。
映画『ナインスゲート』で知り合ったヴァネッサ・パラディと交際。ヴァネッサ・パラディとの間に女児をもうけた。2003年にディズニー/ブエナビスタ共同制作の娯楽超大作『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』で興行面での大成功を収め、世界的な規模で爆発的な名声を獲得した[17]。