ジョニー・キャッシュ
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それで曲を作って持ってきたら採用してやる」と語ったという噂があったが、2002年のインタビューでキャッシュはフィリップスはそのようなことは言っていないと否定した[46]。キャッシュは以前のロカビリーのスタイルで新曲を披露し、契約に漕ぎ着けた。因みにカントリー歌手になった後もキャッシュはゴスペルをしばしばライヴなどで歌っている。サン・レコードは他にも後にジョニーの紹介で契約するロイ・オービソンカール・パーキンスジェリー・リー・ルイスといった多くの初期のロックスターを輩出していく。1955年

1955年6月下旬、サン・レコードからシングル『ヘイ・ポーター(Hey Porter )』(B面『Cry! Cry! Cry! 』)を発売し「ジョニー・キャッシュとテネシー2」としてデビューした。ビルボード誌全米カントリーチャート14位を記録するヒットになった(以下、ポップ・チャートも含め記録は全てビルボード誌による)。

同年12月、シングル『フォーサム・プリズン・ブルース』を発売した。カントリー・チャート4位の大ヒットとなった。エルヴィス・プレスリーはインディーのサン・レコードから、メジャーのRCAレコードに移籍した。キャッシュは低音で「やあ、私はジョニー・キャッシュです。("Hello,I'm Johnny Cash.")」という舞台上の挨拶も開始した。

1956年4月、シングル『アイ・ウォーク・ザ・ライン(I Walk The Line )』を発売。初の6週連続1位を獲得。ポップ・チャートでも20位にランクインし人気歌手の名をほしいままにした。

1956年12月4日、ジェリー・リー・ルイスのピアノ演奏によりカール・パーキンスがサン・スタジオで新曲のレコーディング中、エルヴィス・プレスリーがフィリップスのもとを訪れた。この時キャッシュもスタジオにおり、4人は即興でジャム・セッションを始めた。この時の演奏のほぼ半数はゴスペルで、フィリップスはこの模様を録音して後に『ミリオン・ダラー・カルテット』として発表された。自伝『Cash: the Autobiography 』の中で、キャッシュはマイクから一番遠く、プレスリーに合わせていつもより高いピッチで歌っていたと記した。

1957年7月、『Home of the Blues 』をレコーディングし、同年、キャッシュはサン・レコードで初めてLPレコードを発表した。当時サン・レコードで売り上げも作品数も最高であったが、フィリップスはキャッシュがゴスペルをレコーディングすることに意欲的でなく、また一般的に5%であったロイヤルティーに対し3%であったため、この小さなレコード会社と契約していることを窮屈に感じるようになっていた。プレスリーはすでにサン・レコードを離れており、フィリップスはルイスのプロモーションに力を入れていた。翌年キャッシュはサン・レコードを離れ、大手のコロムビア・レコード(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)と契約してシングル『Don't Take Your Guns to Town 』を発表し、大ヒット作の1つとなった。

このころからロックンロールの紹介者であるアラン・フリードDJ)の「ペイオラ(賄賂)疑惑事件」による解雇(1958年)やエルヴィスの陸軍入隊(1958年)、チャック・ベリーの裁判沙汰による失速(1959年)、バディ・ホリーらの事故死(1959年2月)など初期のロックンローラーが様々な事件事故に巻き込まれた。

1960年、"フルーク"の愛称で親しまれるドラマーのW.S.ホランドがバンドに加入し、バンド名は「ジョニー・キャッシュとテネシー3」になった。ホランドはカントリー界で最初期のドラマーの1人である。

1960年代初頭、キャッシュはカーター・ファミリーのマザー・メイベル & カーター・シスターズ(アニタ、ジューン、ヘレン)と共にコンサート・ツアーを行なうようになった。また、マルチプレイヤーのロイ・クラークともこの頃から共演をしたりしていた。

1960年代、ピート・シーガーの短命番組『Rainbow Quest 』に出演した[47]。1961年、映画『Five Minutes to Live 』に主演、オープニング・テーマ曲の作曲および演奏を行なった。
アウトローのイメージ

1950年代後期にキャリアが始まり、キャッシュは大量の飲酒およびアンフェタミンバルビツレートの中毒になった。短期間、重度のアンフェタミン中毒のウェイロン・ジェニングスナッシュビルのアパートをシェアしていた。コンサート・ツアー中、自分を覚醒させるために上記の薬物を使用していた。友人達は冗談で「神経質」、変人などと言い、多くの者が彼の薬物中毒の危険信号を見逃していた。『The Johnny Cash Show 』の舞台裏でキャッシュは「全ての薬物を試した」と語った。

負の連鎖は続いていたが、キャッシュの熱い創作意欲によりヒット作を連発していた。1963年、『リング・オブ・ファイア(Ring Of Fire )』がカントリー・チャート7週連続1位に、ポップ・チャートでトップ20以内にランクインし、クロスオーバーでヒットした。この曲はジューン・カーターとマール・キルゴアが作曲した。この曲は元々ジューンの姉妹が演奏していたのだが、キャッシュが自分が見た夢の通りにマリアッチ・スタイルの管楽器を加えた[48]。ヴィヴィアン・リベルトは彼女の著書『I Walked the Line: My Life with Johnny 』で異論を唱え、経済的事情により作曲者名をキャッシュがカーターに変更したのだと語った[49]1964年

1965年6月、車輪軸受の過熱で彼のトラックから出火し、これが引き金となりカリフォルニア州のロス・パドレス国有林の何百エーカーにもおよぶ森林火災を引き起こした[50][51]。裁判官がキャッシュにこれについて尋ねるとキャッシュは「私はやってない。トラックが勝手にやって自爆した。あなたは私に質問することはできない」と応えた[28]。この火災で508エーカー(206ヘクタール)、3山を焼き、53羽しかいなかった絶滅寸前カリフォルニアコンドルのうち49羽が出て行ってしまった[52]。キャッシュは反省もなく「ハゲタカのことなんかどうでもいい」と語った。連邦政府は彼を訴え、125,172ドル(2014年の貨幣価値で936,741ドル).を科した。最終的に示談によりキャッシュは82,001ドルを支払った[53]。森林火災を引き起こし、連邦政府から訴えられたのはキャッシュだけである[28]

キャッシュはクールなアウトローのイメージを作り上げようとしていたが、実際に実刑判決を受けたことはなかった。微罪により収監されたことは何度かあったが、一夜のみで出獄した。彼が刑事事件を起こしたケースとしては1965年のツアー中、麻薬をメキシコ国境から持ちこもうとしてテキサス州エルパソで逮捕されたことがある。警察官達はキャッシュがメキシコからヘロインを密輸したのではないかと容疑をかけたが、ギター・ケースに隠したデキセドリンのカプセル688錠、エクワニル475錠が見つかったのみであった。これらは不法な麻薬ではなく処方薬であり、執行猶予を受けた。映画「ウォーク・ザ・ライン/君につづく道」劇中、キャッシュが薬物に手を出したきっかけとなるシーンではミュージシャン仲間のどんちゃん騒ぎの中でカール・パーキンスが薬物を服用した状態のプレスリーの様子をジョニーに見せ「スカッとするぜ」とあおっている。このトラブルが元で妻・ヴィヴィアンとも離婚。娘達も妻側に引き取られる。

1965年5月11日、ミシシッピ州スタークヴィルで深夜に私有地に不法侵入して花を摘もうとして逮捕された。刑務所で収録されたライヴ・アルバム『At San Quentin 』によると、これを基に『Starkville City Jail 』を作曲した。

1965年、映画『007 サンダーボール作戦』の主題歌候補として「サンダーボール作戦」(詞も曲も異なる)を歌うが、最終選考でトム・ジョーンズに敗れた[54]

1960年代半ば、キャッシュのナレーションを入れた『Sings the Ballads of the True West 』(1965年)、ネイティヴ・アメリカンに焦点を当てた『Bitter Tears 』(1964年)など多くのコンセプト・アルバムを発表した。薬物中毒の状態はこの時が最悪で、彼の破壊的な行動により最初の妻と離婚することになり、コンサートも中止になった。

1967年、ジューン・カーターとのデュエット『Jackson 』がグラミー賞を受賞した。

1967年、ジョージア州ウォーカー郡で処方薬入りのバッグを所持し、交通事故を起こして逮捕された。保安官を買収しようとしたが、保安官は金を払いのけてキャッシュはジョージア州ラファイエットの刑務所で一夜を過ごすことになった。キャッシュの危険な行動、将来性を無駄にしていることを心配したラルフ・ジョーンズ保安官に長時間説教されてから釈放された。この経験で人生を考え直したキャッシュは後にラファイエットを再訪してチャリティ・コンサートを開き、人口9千人に満たない町に12,000人が来場し高等学校への寄付75,000ドルが集まった[55]。1997年のインタビューで「しばらく薬物を飲んでいたが、いつの間にか薬物が自分を飲み込んでいた」と語った[56]

薬物を完全に断ち切るまで数年間かかり、重い禁断症状によりニッカジャック洞窟で自殺を企てた。洞窟の奥深くに入っていき、気絶し床に伏せた時、ただ死ぬのだと考えた。


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