ジョセフ・ウィリアムズ
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それに僕は加入前からTOTOの音楽性に非常に近かったしリンクする点が多かった。結局僕が採用になったのはそういう点が大きいんじゃないかな」と語っている。ジェフ自身は「エリックは精神年齢がまだ幼いから(採用しなかった)」と語っていた。

また、スティーヴ・ルカサーは「(歴代シンガーが多数いる中で)TOTOのボーカリストとして本当にふさわしかったのはボビー以外ではジョセフだけだよ」と語っている。
略歴

1960年ジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』シリーズやスティーヴン・スピルバーグの作品等、映画音楽作曲家として有名なジョン・ウィリアムズの次男として生まれる。兄はドラマー、ピアニストのマーク・T・ウイリアムズ。

1980年代前半から父ジョン・ウィリアムズ監督のサウンドトラックに参加、また作曲家として多く楽曲をアーティストや映画に提供する。

1982年、アルバム『ジョセフ・ウィリアムス』でソロシンガーとしてデビューする。

1985年、映画『グーニーズ』のサントラに参加。

1986年ジェフ・ポーカロデヴィッド・ペイチといったスタジオ・ミュージシャンを中心とするバンドTOTOに3代目ボーカリストとして加入。同年にアルバム『ファーレンハイト』、1988年には『ザ・セブンス・ワン?第7の剣?』を発表する。

1989年飯島真理のアルバム『MY HEART IN RED』に参加、収録曲「Send Love To Me」で飯島真理とデュエットしている。同年、TOTOを脱退。以後も作曲家として活動しながら、自身のソロ作品もリリースしたりTOTOにゲスト参加するなど続けている。

1990年、オムニバス・アルバム『TATSURO SONGS FROM L.A.』に参加。山下達郎楽曲をカヴァーし、第1弾では「クリスマス・イブ」、第2弾アルバムでは「GET BACK IN LOVE」等を歌った。

2010年、TOTOのメンバーで盟友のマイク・ポーカロが冒されている難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)支援のためのTOTO再結成からメインボーカリストとして復帰。

2011年AORクリエイターのピーター・フリーステットとコラボしたアルバム『ウィリアムス/フリーステット』を発表し、2013年には作品に伴う来日公演を開催した[3]

2016年、ピーター・フリーステットに加え、ビル・チャンプリン(元シカゴ)と3人でコラボするプロジェクトを興し、チャンプリン・ウィリアムス・フリーステット名義でアルバム『シー・ダブリュー・エフ』をリリース[4]

ディスコグラフィ
ソロ
アルバム

『ジョセフ・ウィリアムス』 - Joseph Williams (1982年) ※2002年再発。日本国内盤2008年再発

『アイ・アム・アライヴ』 - I Am Alive (1996年)

『3』 - 3 (1997年)

『アーリー・イヤーズ』 - Early Years (1999年) ※日本国内盤2008年再発

『ヴァーティゴ』 - Vertigo (2003年)

『トゥ・オブ・アス』 - Two of Us (2006年)

『ヴァーティゴ2』 - Vertigo 2 (2006年)

『スマイルズ』 - Smiles (2007年)

『ティアーズ』 - Tears (2007年)

『ディス・フォール』 - This Fall (2008年)

シングル

My One(1986年、RACKYO RECORDS、07SP-947)- 森永「ピクニック」CFソング

c/w DJ IN MY LIFE - ホンダ「DJ・1R」CFソング


プロジェクト
ウエスト・コースト・オールスターズ

『夢のカリフォルニア』 - California Dreamin' (1997年)

『ナチュラリー -天国への階段-』 - Naturally (1998年)

『ザ・ベスト』 - The Best (2006年)

ジョセフ・ウィリアムス & ピーター・フリーステット

『ウィリアムス/フリーステット』 - Williams/Friestedt (2011年)


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