ジョイ・ディヴィジョン
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イアンの死とクローサー

バンドは1980年1月にヨーロッパを回るツアーを行った後、2月からは全英ツアーを展開。さらに3月からは次作『クローサー』のレコーディングのため、再びハネットとスタジオ入りする。バンドが順調に成功への階段を上る一方で、過密したスケジュールは次第にイアン・カーティスの心身を蝕んでいった。持病のてんかんうつ病、さらに女性関係の問題も抱え精神的に不安定な状態になったイアンは、ツアーの最中の4月7日にフェノバルビタールを服用して自殺を図る。この時は一命を取り留めたものの、一部のライヴをキャンセルした後にツアーが続行されたため、イアンの健康状態は悪化した。

1980年5月18日、全米ツアーへの出発を翌日に控えた月曜日の早朝にイアンは自宅で首を吊り自殺。彼の遺体は同日の昼に帰宅した妻デボラにより発見された。突然の悲劇によりヴォーカリストを失ったジョイ・ディヴィジョンは活動を停止し、全米ツアーもキャンセルされた。

遺作となったシングル「ラヴ・ウィル・テア・アス・アパート」は5月に全英シングルチャート13位を記録。7月には二枚目の(同時に最後の)アルバム『クローサー』がリリースされ、全英アルバムチャート6位まで上昇。年末にはNME誌の特集で年間最優秀アルバムに選出された。
ニュー・オーダー詳細は「ニュー・オーダー」を参照

残されたメンバーは話し合いの末、音楽活動を継続することを決定。イアンの生前に結ばれた「メンバーが一人でも欠けたらジョイ・ディヴィジョンの名前でバンド活動は行わない」という約束に基づき、バンド名はニュー・オーダーに改められ、ボーカルはギタリストのバーナードが兼任することになった。1980年9月には延期されていた全米ツアーを敢行している。

後年、ニュー・オーダーはイアン・カーティスの自殺が伝えられた時の心境を曲にした「ブルー・マンデー」を発表。同シングルは世界的なヒットを記録した。
彼らの音楽的な影響

ジョイ・ディヴィジョンが少年期に大きく影響を受けたのは、ドアーズ[6]ヴェルヴェット・アンダーグラウンド[6]イギー・ポップ[6]デヴィッド・ボウイ[6]や、ノイ!クラフトワーク[7]カン[8]ストラングラーズ[9]スージー・アンド・ザ・バンシーズ[10]
ディスコグラフィ
オリジナルアルバム

アンノウン・プレジャーズ - Unknown Pleasures (1979年)

クローサー - Closer (1980年)

シングル

トランスミッション - "Transmission" (1979年)

アトモスフィア - "Licht und Blindheit" ("Atmosphere") (1980年)

コマキノ - "Komakino" (1980年)

ラヴ・ウィル・テア・アス・アパート - "Love Will Tear Us Apart" (1980年)

アトモスフィア - "Atmosphere" (1980年)

アトモスフィア - "Atmosphere" (再発盤) (1988年)

ラヴ・ウィル・テア・アス・アパート - "Love Will Tear Us Apart" (再発盤)(1995年)

ラヴ・ウィル・テア・アス・アパート - "Love Will Tear Us Apart" (再発盤)(2007年)

※「アルバムに入れると統一感が失われる」という理由で、シングル曲はオリジナルアルバムに収録されていない。
コンピレーション

スティル - Still (1981年) 未発表音源・ライヴ集

サブスタンス - Substance 1977-1980 (1988年) シングル集

パーマネント?ベスト・オブ・ジョイ・ ディヴィジョン - Permanent (1995年) ベストアルバム

コンプリートBBCレコーディングス Joy Division The Complete BBC Recordings (2000年) ジョン・ピール・セッションを完全収録

ハート&ソウル - Heart And Soul (2004年) 未発表音源を含むボックスセット

マーティン・ハネット・パーソナル・ミックス - Martin Hannett’s Peronal Mixes(2007年) レア音源集[11]

レット・ザ・ムーヴィー・ビギン - Let The Movie Begin (2007年) ライヴ&アウトテイク集[12]

ザ・ベスト・オブ・ジョイ・ディヴィジョン - The Best Of Joy Division (2008年) リマスターされたベストアルバム[13]

+- Singles 1978-80 (2010年) リマスターされたシングル集

トータル~ベスト・オブ・ジョイ・ディヴィジョン&ニュー・オーダー Total ? From Joy Division to New Order(2011年) ニュー・オーダーとのカップリング・ベスト

ライブアルバム

ライヴ・イン・プレストン - PRESTON 28 FEBRUARY 1980 (1999年)

ライヴ・イン・パリ - Les Bains Douches 18 December 1979(2001年)

映像作品

Here Are The Young Men (1982年) 複数のコンサート映像及び「Love Will Tear Us Apart」の
PVを収録。未DVD化。

映画

24アワー・パーティー・ピープル (2002年) ジョイ・ディヴィジョンの所属していたファクトリー・レーベルの興亡を描く。物語前半はジョイ・ディヴィジョン、後半はハッピー・マンデーズを中心に進められる。

コントロール(2007年) 日本では2008年公開。イアン・カーティスの妻デボラの著書、タッチング・フロム・ア・ディスタンスをベースにイアンの半生を描く。監督は写真家として有名なアントン・コービン。主演はサム・ライリー。第60回カンヌ国際映画祭でカメラドール/スペシャル・メンション賞を受賞。

ジョイ・ディヴィジョン(2007年) 監督グラント・ジーによるドキュメンタリー作品。

脚注[脚注の使い方]^Joy Division - Biobraphy - Allmusic
^ あなたの人生で最高の一曲は?
^ 英学生のアンセム、トップ10発表
^ バズコックスが前座とプロモーターを務めた。
^ 観客数はわずか42人であったが、サムナーとフックのほかに、ファクトリー・レコードを設立したトニー・ウィルソン、ジョイ・ディヴィジョンやU2をプロデュースしたマーティン・ハネット、ザ・フォールのマーク・E・スミス、ザ・スミスモリッシーシンプリー・レッドのミック・ハックネルがいた。


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