ジョイフル
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主要取引銀行は伊予銀行西日本シティ銀行大分銀行[18]。大分銀行は大株主でもあり、ジョイフルは伊予銀行と西日本フィナンシャルホールディングスの株式を保有している[1]
沿革.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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1996年に、創業者で当時社長であった穴見保雄は、2006年までに1,000店舗を目指す構想を発表。しかし、メニューが肉料理中心だったため、2003年に発生したBSE問題の影響を受け、出店を抑制。2004年より不採算店舗を閉鎖、また一部の店舗で24時間営業を取りやめている[19]。閉鎖第1号は高知県中村市(現・四万十市)の高知西中村店で、わずか3年ほどの営業だった。ただ、このときは当初約30店舗の閉鎖・約100店舗の深夜営業取りやめを予定していたものの、実際はそれより少ない数にとどまった。その後、2005年12月15日開店の高松扇町店(香川県高松市)を最後に、2008年まで直営での新規出店を一時凍結した。

2007年には中国でのチェーン展開を図り、7月23日に中国準備室を設置[20]。2008年5月に上海に1号店を開店し[21]2店目も出店したものの、2009年5月末に営業を休止し[22][23]、2010年4月12日に運営子会社も解散した[24]

2007年12月13日、穴見陽一の次期衆議院選挙立候補表明を受け、2008年1月1日付で常務の長尾一徳が社長に就任し、穴見は代表権のある会長に就任した。創業家以外では初の社長で、同時にプロパーでもない社長(長尾はサントリーフーズから送り込まれた)でもある。また同時に、代表権のある副社長に就任した井上博基もプロパーではない[25]。その直後には、2年ぶりの直営新店舗である高知金田店(高知県高知市)を開業させている。また、郊外店の売上が伸び悩んでいる影響で、同年11月までに130店舗以上で深夜の営業を取りやめた。新たに都市部の顧客を狙うために、2008年9月に福岡天神(福岡警固公園前店)に初めて都市部に出店した[26]

一方で、全店舗的に売上が低迷し、2008年下期に不採算7店舗の閉鎖を発表。これに世界同時不況が重なり、同年通期には赤字に転落した。この責任を取り2009年3月26日に長尾一徳は代表権のない社長に、穴見陽一は顧問となるとともに[27]、井上博基はジョイフルを去って、代表権は会長の児玉幸子[注 2]のみが持つことになる。また、2008年12月期の有価証券報告書によれば、不採算店舗については土地賃貸契約の期間満了をもって閉鎖することも検討すると示されているが、翌期には不採算店舗の撤退に関する文言はなくなっている。

2010年3月25日の定時株主総会をもって長尾が取締役社長を退任し、会長の児玉が社長に就任した[28]。児玉は社長個人としてのメディア取材は一切受けず、また、公式ホームページにも写真を出さず、地元財界の会合にも出席しなかったが、2011年1月発行のジョイフル労働組合の機関誌「ジョイくみ」にて初めて顔が公開された。

2011年3月24日、穴見陽一が顧問から社長に復帰し、児玉は代表権のない会長となった[27][29]

2012年3月23日、穴見陽一の妻の穴見くるみが社長となった[30]が、同日の定時株主総会で、共同代表制を否定し、代表取締役は1名のみとする定款改正が行われたため、代表権はなく、相談役となった陽一のみが代表権を持ち、対外的な対応をつとめていた。

2013年3月に、ロゴマークを変更。同時に、シンボルマークも新設した[31]。また、久しく出店していなかった関東地方への出店も再開している。

2013年3月24日の定時株主総会で、穴見陽一が前年の第46回衆議院議員総選挙で当選したことを受け、共同代表制を復活させ、社長のくるみも代表権を持つこととなった。ただ、前会長の児玉幸子はこのときに取締役を退任したものの、議決権の3分の1超を保有するジョイ開発の社長である[32]ことから、顧問として今なおジョイフルへの影響力を持ち続けている。

2016年1月1日をもって持株会社体制となり[7]、店舗運営は後述する11の地域子会社(2015年11月2日設立)に承継された。

2020年6月8日2019新型コロナウイルスの感染拡大に伴う外出自粛が影響し業績が悪化、200店舗程度を同年7月から順次閉店することを発表した。発表時点の店舗数は713店舗[33]。2023年6月現在、656店舗を運営している[34]
年表

1976年昭和51年)5月 - 焼肉チェーン店である株式会社焼肉園として大分市旦野原に設立[31]

1980年(昭和55年)9月 - 商号をジョイフルに変更。

1983年(昭和58年)8月 - 本社を大分市萩原に新築移転。

1988年(昭和63年) - 株式会社寿会館を吸収合併。

1989年平成元年) - 本社を現在地に移転。

1990年(平成2年) - POSシステム導入

1993年(平成5年)6月8日- 福岡証券取引所上場。

1994年(平成6年)5月 - 株式会社亀の井ホテル(現 株式会社アメイズ)を子会社化。

1996年(平成8年)10月 - 地域子会社の株式会社関東ジョイフルを設立。以降、1999年(平成11年)8月までに地域子会社計7社(関東ジョイフルを含む)を設立。

2002年(平成14年)

6月 - 株式会社関東ジョイフルの営業を譲り受け。以降、2004年(平成16年)6月までに他の地域子会社6社を合併。

6月 - 株式会社亀の井ホテルの株式を全て売却。

6月 - 単元株式数を1,000株から100株に変更。


2005年(平成17年) - 子会社ジョイフルサービス設立。

2008年(平成20年) - 中華人民共和国上海市に海外子会社「上海巧芸府餐飲有限公司」を設立。

2010年(平成22年) - 上海巧芸府餐飲有限公司を清算。

2013年(平成25年)3月 - シンボルマーク新設及びロゴマーク変更。

2014年(平成26年)10月 - 新ブランドタイプ1号店舗 姫路大津店を開店。

2015年(平成27年)

4月14日 - 東京23区初出店となる赤坂店オープン[35]

11月 - ジョイフル東関東・東北等の地域子会社11社を設立。


2016年(平成28年)

1月1日 - 持株会社体制に移行。

5月 - 中華民国台北市に海外子会社「台湾珍有福餐飲股?有限公司」を設立。


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