ジュール・ヴェルヌ
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1883年(明治16年)には、黒岩涙香が『月世界旅行』を翻案(翻案途上で中絶し、出版もされていないという説がある[2])。

1896年(明治29年)、森田思軒が『二年間の休暇』の英訳版を「十五少年」という標題で翻訳し、雑誌『少年世界』に連載、単行書として刊行した。これは少年文学の傑作として評価され、多くの読者を獲得した。ヴェルヌの作品の翻訳は、翻訳文学史において大きな位置を占めた。
現代のヴェルヌ

ヴェルヌの作品の多くは、子供用の物語として書き直されたり、映画やアニメのような映像作品の原作になったりと、広い人気を誇る。これは21世紀にまで続いており、ヴェルヌ作品は一種の共通認識になっていると言っても良い。

そういった人気の一例として東京ディズニーシーのテーマポート「ミステリアスアイランド」がある。これは『海底二万里』『神秘の島』に登場するネモ船長が築いた秘密基地という設定である(かつてディズニーは『海底二万里』を映画化している)。

2008年3月に打ち上げられた欧州宇宙機関欧州補給機の1号機には彼の名を冠している。生誕183年の2011年2月8日には、google検索のロゴが「海底二万里」をイメージしたものになった。
名言

人間が想像できることは、人間が必ず実現できる(仏: Tout ce qu'un homme est capable d'imaginer, d'autres hommes seront capables)

この表現はヴェルヌの作品中にはなく、アロット・ド・ラ・フュイの伝記では、『海底二万里』執筆中のヴェルヌが父親に宛てた手紙の一節ということになっている(Allotte de la Fuye, Jules Verne : sa vie et son oeuvre, Paris, Kra, 1928, p.162)。「先日、本当とは思えないようなことが思い浮かぶと書いた。でも、そうじゃないんだ。人に想像できることはすべて、ほかの人が実現できるんだよ」この手紙は実物が発見されていない。また『蒸気で動く家』には「可能性の範囲内にあることはすべて実現されるべきだし、きっと実現される
[注釈 1]」という台詞があり、ディズニーランドパリの園内で引用されている。また、鹿島建設テレビCMにも引用されている[3]

ヴェルヌの評価ジュール・ヴェルヌ博物館
(2005年)

1978年には生誕150年を記念し、故郷であるナントにジュール・ヴェルヌ博物館(フランス語版)が開館。博物館にはヴェルヌの著作、写真、手紙や生前使用していた文具や家具などが展示されている。

ヴェルヌ作品は近年まで「子供向け」「低俗」と批評されていた。21世紀初め前後から、その驚くべき科学技術の進歩に対する先見性や、『二十世紀のパリ』に代表される文明批評・風刺精神を再評価され、新訳が多く刊行している。
関連資料

『ジュール・ヴェルヌの世紀 科学・冒険・〈驚異の旅〉』
東洋書林、2009年(平成21年)

フィリップ・ド・ラ・コタルディエール/ジャン=ポール・ドキス監修、私市保彦監訳、新島進訳
詳細な伝記研究で、コタルディエールは元フランス天文学会会長。ドキスは元アミアン・ジュール・ヴェルヌ国際センター長

フォルカー・デース『ジュール・ヴェルヌ伝』石橋正孝訳、水声社、 2014年

『特集ジュール・ヴェルヌ 水声通信27号』 (2008年(平成20年)11・12月合併号、水声社

ミシェル・ラミ『ジュール・ヴェルヌの暗号:レンヌ=ル=シャトーの謎と秘密結社』高尾謙史訳、工作舎 1997年 ISBN 978-4-87502-291-6

ユリイカ 特集 ジュール・ヴェルヌ 空想冒険小説の系譜』1977年5月号(青土社

作品リスト『世界の終わりの灯台』は、ヴェルヌの文学段階で最高の小説の 1 つと考えられている。空中艇アルバトロス号(フランス語版)の模型。『征服者ロビュール』の別邦題ともなる[4]

※ 日本語タイトルが複数ある場合は代表的なものを選び、別タイトルや直訳(斜字)を適宜併記した。日本語訳がない作品については直訳のみを斜字体で示す。死後に子息が完成させた作品等も挙げた。より詳しい書誌情報に関しては#外部リンクの「ジュール・ヴェルヌ作品リスト」も参照。

『イングランド・スコットランド旅行』 Voyage en Angleterre et en Ecosse (1859)

作者の生前は未刊行。1989年に『イングランド・スコットランド後ずさり旅行』 Voyage a reculons en Angleterre et en Ecosse として刊行。


二十世紀のパリ』Paris au XXe siecle (1861)

作者の生前は未刊行。死後90年ほど経った1994年に初めて刊行された。


『スカンディナヴィアにおける3人の旅行者の陽気な不幸』 Joyeuses miseres de trois voyageurs en Scandinavie (1861)

未完成の作品(作者の生前は未刊行)。2003年にファクシミリ版が刊行された。


気球に乗って五週間』Cinq semaines en ballon (1863)

地底旅行』Voyage au centre de la Terre (1864)

『ド・シャントレーヌ伯爵』 Le Comte de Chanteleine (1864)

上記は雑誌掲載の年号であり、書籍化は100年以上を経た1971年。


月世界旅行』(『地球から月へ』 )De la Terre a la Lune (1865)

『難破船シンシア号の遺留物』 L'Epave du Cynthia (1886)

アンドレ・ローリー(Andre Laurie)との合作。


ハテラス船長の冒険』Les Aventures du capitaine Hatteras (1867)

Les Anglais au Pole Nord (1866) と Le desert de glace (1866) の二分冊で刊行された。


グラント船長の子供たち』Les Enfants du capitaine Grant (1868)

L’Amerique du Sud (1866) および L’Australie (1866) と L’Ocean Pacifique (1867) の三分冊で刊行された。


海底二万里』Vingt mille lieues sous les mers (1870)

1869年および1870年に、二分冊で刊行された。


月世界へ行く』Autour de la Lune (1870)

洋上都市』Une ville flottante (1872)


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