ジュ・ド・ポーム
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デダーン、グリル、ウィニングギャラリーは、別名、勝利の窓(winning openings)とも呼ばれる。これらに向かってネットを挟んだ反対側のサイドにいるプレーヤーがボールを打ち込むと、そのプレーヤーはポイントを獲得できる。

デダーン型コートのハザードサイドの壁には一部せり出した部分があり、これをタンブール(tambour「太鼓」)と呼ぶ。このタンブールがあるためにハザードサイドはサービスサイドよりも横幅が若干狭くなっている。

16世紀イタリアで『球戯論』を著したアントニオ・スカイノは、フランス王アンリ2世がパリのルーヴル宮殿に建設したジュ・ド・ポームのコートに備え付けられていたギャラリーやタンブール、グリルについて、ボールの動きに複雑な変化をもたらしてプレーヤーや観客を楽しませ、「このラケット球戯の精妙さをさらに増す」ものだとしている[15]
カレ型

カレ型のコートの特徴はデダーンやタンブールが見られず、代わりにトル(trou「穴」)、エ(ais「板」)、リュヌ(lune「月」)などが存在することである。これらはいずれも勝利の窓と同じ機能を持ち、その穴や板に向かってボールを直接打ち込むと得点できた[16]
現存するコート

デダーン型、カレ型を問わず、現存するジュ・ド・ポームの専用コートは数少ない。コートの総数は約40で、大半はイギリスにある[17]。国際オリンピック史学会 (ISOH) の元会長ビル・マロン (en:Bill Mallon) は、2012年に「現在も残るコートはわずか20カ所ほど。大半がフランスにある」と述べている[18]。「en:List of real tennis organizations」も参照
イギリスのコート

現存最古のデダーン型コートとして、ロンドンハンプトン・コート宮殿のロイヤルテニスコートがある。最初のコートは、1526年から1529年にかけてトマス・ウルジー[19]、あるいは1532年から1533年にかけてイングランド王ヘンリー8世が建設した[20]。現存するのは1626年[20]ないし1628年[19]チャールズ1世が再建設したもので、その息子チャールズ2世が改装を行っている[20]イギリス王室とゆかりの深いテニスコートである。

スコットランドファイフにあるフォークランド宮殿には、1539年から1541年にかけてスコットランド王ジェームズ5世の命で造られたカレ型のコートが現存しており、リアルテニスのコートとして利用されている。このコートのサービスサイドにはデダーンがなく、縦長の板状のエと4つの方形の窓のようなリュヌがあり、ハザードサイドにグリルはあるがタンブールがない。
フランスのコート

フランス国内にはパリ、ボルドーポーにそれぞれ1つずつ、このほか2008年の世界選手権の会場となったフォンテーヌブロー宮殿のクルト・ポーム用屋内コートがある。

かつて存在したコートの中には劇場などに転用されたものがある。球戯場の誓いの舞台となったことで知られるヴェルサイユ宮殿のテニスコートはフランス革命に関する展示施設となっている[21]パリジュ・ド・ポーム国立美術館は、前身がポーム場であったことからその名前がある[22]

屋外で行うロング・ポームのコートは、パリのリュクサンブール公園にあるものがよく知られている[23][24]
用具ディドロダランベール百科全書掲載の図版より、ラケットの制作過程とその種類;木のへら状のものがトリケとバトワールラケットとボール;ラケットのヘッド部分が片側に偏っている
ラケット

当初は素手で競技していたジュ・ド・ポームであるが、次第に手を保護するために革紐を巻いたり手袋をはめたりするようになり、14世紀にはトリケ(triquet)やバトワール(battoir)と呼ばれる木のへら状の簡易ラケットが用いられるようになった。打ちべらの打球面を補強するのには羊皮紙が用いられた[25]。高価な羊皮紙を得るために写本をばらばらにする者も現れ、ティトゥス・リウィウスの貴重な写本の一部がラケットの覆いに使われているのが見つかったという逸話もある[26]。ガットを用いた今日のラケットに近いものが登場したのは16世紀の中頃である。

ジュ・ド・ポームのラケットは、コートの壁ぎわのボールもすくい上げて打ちやすいように、ヘッド部分が片側に偏り、左右が非対称になっている[27]
おもな競技大会
オリンピック

近代オリンピックの歴史にジュ・ド・ポームの名が最初に現れるのは1900年パリオリンピックにおいてである。この大会ではロング・ポーム(屋外で行うジュ・ド・ポーム)の競技が1900年5月27日と6月10日、リュクサンブール公園を会場に実施された[28][注 2]。しかしながら、このパリ五輪はパリ万国博覧会の一部として開催された大会で[31]、ロング・ポームにはパリを中心としたフランスのチームのみが参加し、万博に合わせて開かれた国内選手権という性格が強かった。このため、後世のスポーツ史家はパリ大会のロング・ポームを五輪の公式競技として行われたものとは認めていない[32][33]

1908年ロンドンオリンピックは、過去にジュ・ド・ポームが公式競技として実施された五輪史上唯一の大会である。ロンドン大会にはイギリスとアメリカから計11名の男子選手が出場、決勝でイギリスのユースタス・マイルズを3-0(6-5, 6-4, 6-4)で破ったアメリカのジェイ・グールド2世が金メダルを獲得した[34][35]。詳細は「1908年ロンドンオリンピックのジュ・ド・ポーム競技」を参照
世界選手権

ジュ・ド・ポームの世界選手権大会の始まりは1740年、世界選手権としては最古のものとされている[36]。著名な過去の優勝者には国際テニス殿堂入りしているトム・ペティットやロンドン五輪金メダリストのジェイ・グールド2世、テニスのみならずラケッツの世界チャンピオンでもあったピーター・レイサムらが挙げられる。

1996年以降、大会は偶数年に開催されている。ロバート・フェイは1994年から2008年まで世界選手権を9連覇し、それまでピエール・エチェバステールが持っていた8連覇記録を更新。2014年で11連覇を達成している。詳細は「en:List of real tennis world champions」を参照
グランドスラム

テニスのグランドスラム同様、アメリカ、オーストラリア、フランス、イギリスで開催されるオープン大会があり、これらが四大大会に相当する。1年で4つの大会を制覇する年間グランドスラムは、男子ではイギリスのクリス・ロナルドソンとオーストラリアのロバート・フェイが達成している。詳細は「en:Grand Slam (real tennis)」を参照
脚注


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