その後2000年からマサチューセッツ総合病院の院長のスティーブン・M・ゼイトルズ(英語版)が彼女に4回手術をし話し声は戻ってきているものの、歌声までは戻っていない。[54]
歌声が失われたにもかかわらず、彼女はたくさんの仕事に関わり忙しかった。1998年にはロンドンで舞台作品の『ドリトル先生』に出演した。ジュリー・アンドリュースのウェブサイトによると、オウムのポリネシアの声を演じ、「機械の鳥の口の中にあるコンピューターチップに700ほどの文や音を録音しました。『動物とおしゃべり』の歌ではオウムのポリネシアも歌う(recorded some 700 sentences and sounds, which were placed on a computer chip that sat in the mechanical bird's mouth. In the song 'Talk to the Animals,' Polynesia the parrot even sings)」そうである。次の年1999年11月に放映されたテレビ映画、『One Special Night』でジェームズ・ガーナーと再共演した。
2000年、アンドリュースは舞台芸術の功績でエリザベス2世よりバッキンガム宮殿で大英帝国勲章を受勲しデイム・コマンダー(英語版)(司令官騎士 DBE)となる。[55][56]2002年にはビバリー・ワイルシャー・ホテル(英語版)で開かれた女王の在位50周年を記念するゴールデン・ジュビリー(英語版)のハリウッドパーティでゲストの一人だった。[57]彼女は2002年にイギリス大衆による投票で選ばれたBBCの『100名の最も偉大な英国人』で女優で唯一、59位にランクインした。[58]
2001年ケネディ・センター名誉賞を受賞する。同じ年、『サウンド・オブ・ミュージック』で共演したクリストファー・プラマーと生放送でテレビ放送された『On Golden Pond』(1979年の戯曲『黄昏(英語版)』を脚色)で再共演した。 2001年、アンドリュースは『プリティ・プリンセス』に出演し、ディズニー映画は『メリー・ポピンズ』(1964年)以来となった。彼女はクラリス・レナルディ女王を演じ、その続編、『プリティ・プリンセス2/ロイヤル・ウェディング』(2004年)でも同役を演じた。『プリティ・プリンセス2』では喉の手術をおこなってから初めて映画で歌った。その"Your Crowning Glory"(ティーンアイドルのレイヴン・シモーネ
キャリアの復活
アンドリュースはその後もディズニー関連の仕事を続け、ニューヨークのプラザホテルに住む女の子を描いた、ケイ・トンプソン(英語版)の児童書であるエロイーズシリーズ(英語版)を基にした2つのテレビ映画に出演した。『おてんばエロイーズ/キラキラ星のダンスパーティ(英語版)』は2003年4月に封切され、『おてんばエロイーズ/わくわくクリスマス(英語版)』は2003年11月に放送された。アンドリュースはエミー賞にノミネートされた。[28]同年、サッグハーバー(英語版)のベイ・ストリート・シアターで、1954年に彼女がブロードウェイデビューを果たしたミュージカル『ボーイフレンド』の再上演を演出し、演出家デビューした。彼女の作品の衣装と舞台背景のデザインは前夫のトニー・ウォールトンが担当し、2005年にグッズピード・オペラハウス(英語版)で再上演され、2006年に全米ツアーがおこなわれた。
2005年から2006年は ディズニーランドの50周年の18ヶ月にわたる祝賀イベント『地球上で一番ハッピーな帰郷(英語版)』公式の大使を務め、イベントの宣伝をするため各地を駆け回ったり、ナレーションを録音したり、パークのいくつかのイベントに姿をみせたりした。
2004年、アニメ大ヒット作『シュレック2』(2004年)にリリアン王妃の声を担当し、『シュレック3』(2007年)、『シュレック フォーエバー』(2010年)の続編でも同役を担当する。その後、2007年、ディズニーのミュージカルコメディである『魔法にかけられて』でナレーションをし、『メリー・ポピンズ』のような典型的なディズニー映画に敬意を払っていることを人々に示した
2007年1月、映画俳優組合より生涯功労賞を受賞し、彼女の目標はこれからも舞台の演出を続けること、そして彼女のブロードウェイ・ミュージカルを演出することだと述べた。[46]彼女は、自伝の第一部と称した、『Home: A Memoir of My Early Years』が2008年4月1日に出版された。この本はイギリスの彼女の初期のイギリスでのミュージックホールサーキットのことなどが記されていて、1962年にメリー・ポピンズ役を得るところで終わっている。2004年に、ウォルト・ディズニー・ビデオのリリースのためにメリー・ポピンズを演じ、『王様と猫』の物語をナレーションした。
2008年の7月から8月上旬、アンドリュースはアメリカでの短いツアーである『Julie Andrews' The Gift of Music』でホストを務め、[60]さまざまなロジャース&ハマースタインの歌や、彼女の最近出版された本、『Simeon's Gift』に調和させて歌った。これはかなりの年月を得て、声帯手術後の初めての公衆向けの歌手としてのパフォーマンスとなった。[61]
2009年5月、ポーリー・パビリオンで例年行われる大会、UCLA スプリング・シング(英語版)で音楽の功労賞としてジョージアイラ・ガーシュウィン賞を受賞した。受賞した際に彼女は言った。「頑張れ、熊たち(Bruins)。SCに勝つのです…ストライク・アップ・ザ・バンド、一つ一つの勝利を祝うために。(Go Bruins. Beat SC ... let the Gershwin tunes strike up the band to celebrate every one of those victories.)」
2010年以降の活動手形とサイン、チャイニーズ・シアター前で
2010年1月、アンドリュースはニューイヤーコンサートのアメリカでの公式プレゼンターを務める。[62]これは彼女の前年に続いて2回目の出演となった。[63]アンドリュースは興行収入は挙げているものの否定的な評価を受けた映画『妖精ファイター』で助演した。[64][65]この映画のプロモーションツアーで、Operation USAを紹介し、ハイチ地震の援助キャンペーンを行った。[66]
2010年5月8日、アンドリュースは21年来のロンドンでのカムバックを果たした(前のパフォーマンスは1989年にロイヤル・フェスティバル・ホールで行われたクリスマスコンサートであった)。O2アリーナで公演し、 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団が伴奏をし、演者5人と合唱した。