ジュリー・アンドリュース
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(And, finally, my thanks to a man who made a wonderful movie and who made all this possible in the first place, Mr. Jack Warner.)」[32][33]マイ・フェア・レディは同じく賞にノミネートされていた。

アンドリュースはジェームズ・ガーナーの相手役として『卑怯者の勲章』(1964年)に出演し、英国アカデミー賞 最優秀英国女優賞にノミネートされた。この映画は第二次世界大戦中のロンドンが舞台のコメディ・ドラマである。アンドリュースは共演者のジェームズ・ガーナーと同じく好きな映画としてこれをあげている。[34]

1965年、アンドリュースは『サウンド・オブ・ミュージック』に出演し、その年の最高興行収入映画であり、20世紀フォックス史上最大のヒットとなった。[35]2013年現在、これは今までの映画の中で三番目の興行収入をあげている。[36]アンドリュースはこのマリア・フォン・トラップ役で、二つ目のゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)を受賞し、アカデミー主演女優賞にもノミネートされたが、『ダーリング』のジュリー・クリスティに敗れてしまった。

『サウンド・オブ・ミュージック』の撮影後、NBCのバラエティ・シリーズである『アンディ・ウィリアムス・ショー』にゲスト出演した。このエピソードでエミー賞にノミネートされた。また、エミー賞を受賞した(アンドリュースは受賞していない)特別番組『ジュリー・アンドリュース・ショー(英語版)』でジーン・ケリー、ゲストとしてニュー・クライスティ・ミンストレルズ(英語版)らと共演した。これはNBCで1965年11月に放映された。

1966年、アンドリュースは『ハワイ』に出演し、その年の最高興行収入映画になっている。[37]また、同じ年にアルフレッド・ヒッチコック監督映画、『引き裂かれたカーテン』に出演し、ポール・ニューマンと共演している。次の年には『モダン・ミリー』(1967年)に出演し、ゴールデン・グローブ賞にノミネートされた。当時、『モダン・ミリー』と『引き裂かれたカーテン』はユニバーサル・ピクチャーズ史上、それぞれ一番と二番目のヒットであった。
中頃のキャリアロック・ハドソンと映画『暁の出撃』(1970年)でのキスシーン

アンドリュースの次の出演作はハリウッドの最大の失敗作の内の二つで、ガートルード・ローレンスの伝記映画である『スター!』。ロック・ハドソンと共演し、二人目の夫(トニー・ウォールトンとは1967年に離婚)、(1969年に再婚している)であるブレイク・エドワーズ監督映画『暁の出撃』に出演した。[20][38]二人はエドワーズが2010年に亡くなるまで別れることはなかった。[39]

1970年代、エドワーズとアンドリュースは1974年にエイミー、1975年にジョアンナを養子に迎えている。[40][41]エドワーズの前妻と子で、アンドリュースとトニー・ウォルトンとの娘エマより、それぞれ3歳と5歳年上のジェニファーとジェフリーがいる。[42]1970年に、アンドリュースはディズニー映画である『ベッドかざりとほうき』の主演女優の候補の内のひとりであったが、結果的にアンジェラ・ランズベリーが出演した。

アンドリュースはテレビ出演を続ける。1969年、歌手のハリー・ベラフォンテとNBCの特別番組の『An Evening with Julie Andrews and Harry Belafonte』で共演する。1971年、彼女はゲストとしてウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートのグランド・オープンに立会い、同年キャロル・バーネットとCBSの特別番組『Julie and Carol At Lincoln Center』に出演した。1972から73年は、ABCで彼女自身のバラエティ番組である『ジュリー・アンドリュース・アワー(英語版)』で主演を務める。この番組は7つのエミー賞を受賞したが、1シーズンで中止されてしまった。また、『マンディ』で作家デビューも果たした。[43]

1973年と1975年の間、ABCの5つの特別番組に出演する。1977年には『マペット・ショー』にゲスト出演し(日本でも放送)、次の年にはCBSのバラエティ特別番組で再びマペット達と共演した。[44]そのプログラム、『Julie Andrews: One Step Into Spring』は1978年の3月に放送され、好ましくない批評を受け、並みの視聴率になった。1970年代には他に『夕映え』(1974年)と『テン』(1979年)の2作品しか映画に出演していない。

1980年2月、CBSの特別番組『Because We Care』でカンボジアの飢饉の被災者に寄付をしている30人のスター達と共演した。次の年、映画『Little Miss Marker』で主演を務める。1981年、ブレーク・エドワーズの『S.O.B.』に出演し初のトップレスシーンを披露する。これは注目を集め、彼女の健康的でキュートなイメージを求めるファンに突きつけた。[45]

1982年、アンドリュースは『ビクター/ビクトリア』でヴィクトリア・グラントと伯爵ビクター・グラジンスキーという二つの顔を持つ役柄を演じ、相手役はまたジェームズ・ガーナーである。彼女の演技はゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)を受賞し、三度目である、アカデミー主演女優賞にもノミネートされた。[1][46]

1983年、アンドリュースはハーバード大学 ・シアトリカル・ソサエティよりウーマン・オブ・ジ・イヤーに選ばれた[47]。同年、バート・レイノルズと共演した『グッバイ、デイビッド(英語版)』に出演した。次の映画は、彼女がゴールデン・グローブ賞にノミネートされた『That's Life!』と『デュエット・フォー・ワン(英語版)』(両方とも1986年)である。ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星

1987年12月、ABCのクリスマス特別番組で、エミー賞5部門を受賞した『Julie Andrews: The Sound Of Christmas』に出演した。同年、全米ツアーを行った。2年後の1989年、ABCで放送された特別番組でキャロル・バーネットと3度目の共演を果たした。

1991年、ABCのテレビ映画『君が眠る前に(英語版)』でアン=マーグレットと共演し、テレビドラマデビューを果たした。同年、アンドリュースはディズニー・レジェンドを受賞した。


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