ジュリア・ロバーツ
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2000年エリン・ブロコビッチ
MTVムービー・アワード
女性演技賞
2001年エリン・ブロコビッチ
AFI賞
アメリカ映画100年のヒーローと悪役ベスト100(ヒーロー部門第31位)
2003年エリン・ブロコビッチ
英国アカデミー賞
主演女優賞
2000年『エリン・ブロコビッチ』
ゴールデングローブ賞
主演女優賞(ドラマ部門)
2000年『エリン・ブロコビッチ』
女優賞(ミュージカル・コメディ部門)
1990年『プリティ・ウーマン
助演女優賞
1989年『マグノリアの花たち』
全米映画俳優組合賞
主演女優賞
2000年エリン・ブロコビッチ
その他の賞
ハリウッド映画賞
助演女優賞
2013年8月の家族たち
アンサンブル演技賞
2013年『8月の家族たち

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ジュリア・フィオナ・ロバーツ(Julia Fiona Roberts, 1967年10月28日 - )は、アメリカ合衆国女優ジョージア州アトランタ近郊のスマーナ出身。兄エリック、姪のエマも俳優。
来歴
生い立ち

両親共に役者で、彼女が幼い頃はアトランタで演技学校を経営していた。兄エリックと姉リサの妹として生まれた。ジュリアが幼いころ両親が不仲になり、1972年に正式に離婚(父親はジュリアが10歳のときに44歳で病死[1])。

母親は同年に11歳年下の男性と再婚し、ジュリアの下に妹ナンシーが生まれたが、継父はアル中で暴力的な男で、それを嫌って兄のエリックは家を出たが、母親が離婚する1983年までジュリアは辛い思春期を送った[1]

役者になった兄のエリック・ロバーツ(現在は不仲とのこと)を訪ねて行くうちに自分も役者を志すようになったと言う。1984年 特捜刑事マイアミ・バイス シーズン4の22話『Mirror Image (2)』にてゲスト出演。高校卒業後にニューヨークに出て演劇学校に通いながらオーディションを受ける日々を送る[2][3]
映画デビュー

1988年に映画デビューし、翌年の『マグノリアの花たち』でゴールデングローブ賞 助演女優賞を受賞して注目される(自身初のアカデミー賞候補にもなった)。

そして1990年リチャード・ギアと共演した『プリティ・ウーマン』で、エレガントに変身する娼婦を演じ、彼女の当たり役となる。映画は大ヒット、彼女自身もアカデミー賞にノミネートされ、スターの座をつかむ。2001年には『エリン・ブロコビッチ』で同賞の主演女優賞を受賞。

2006年に出産後初の仕事としてブロードウェイの舞台作品『Three Days of Rain』に出演し、ブロードウェイ・デビューを果たした。舞台役者ではない彼女に対する劇評は芳しくなかったが、チケットは最初の週だけで驚異的な売り上げを記録し、商業的には大成功している。

2010年8月2009年インドで撮影が行われた映画『食べて、祈って、恋をして』のプロモーションのため初来日した。キャリアが長いにも拘わらず一度も訪日経験がなかったため、理由は不明であるが何故か日本嫌いだという噂がネット上で存在していた。そのため、来日は洋画ファンを喜ばせた[4]

2014年2月、妹ナンシー・モーツが薬物自殺。遺書にはジュリアのせいだと記されていた[5]。ナンシーは幼い頃よりジュリアに肥満をバカにされ傷ついてきたと以前から訴えていた。後にジュリアは若い頃、キャリア構築に夢中でがむしゃらだった頃の自分を思い出し、「私は超がつく生意気なクソガキ、若い頃は本当に自己中心的な人間だったわ」と反省を口にしている[6]

右の頬にある泣きぼくろが特徴。
私生活ロバーツとSowell上等兵、2001年トルコIncirlik空軍基地にて。

これまでキーファー・サザーランドリーアム・ニーソンダニエル・デイ=ルイスディラン・マクダーモットジェイソン・パトリックベンジャミン・ブラットらとの交際歴がある。キーファー・サザーランドとは1991年4月に婚約するも、式の3日前「自分に正直でありたい」と式をキャンセル。その4日後にキーファーの友人でもあるジェイソン・パトリックとアイルランドへ旅立つ。

1993年にカントリー歌手のライル・ラヴェットと結婚した[7]が、1995年にわずか2年で離婚[8]。1998年から2001年まで俳優のベンジャミン・ブラットと交際[9]

2002年には映画カメラマンのダニエル・モダーと不倫の末に結婚し[10]、2004年11月に男女の双子を出産。2007年6月18日に次男を出産[11]

幸せの教室』で共演しているトム・ハンクスとは長年の友人で、家族ぐるみの付き合いだという[12]
宗教

『食べて、祈って、恋をして』の撮影の時に、ヒンドゥー教改宗している。この映画のロケでヒンドゥー教と出会ったわけではなく、かねてヒンドゥー教に興味を持ち学んでいたのだと語っている。ヒンドゥー教に興味を持つきっかけになったのはニーム・カロリ・ババの写真を見た事だという。彼女の子どもたちもヒンドゥー教徒としての名前を持っているという。ロバーツが立てた制作会社「レッド・オーム・フィルムズ」でもインド宗教の聖音「オーム」を社名に入れている[13]

ヒンドゥー教式の結婚式を挙げながらも早期に離婚したケイティ・ペリーラッセル・ブランドについて、ヒンドゥー教における結婚式の重さが分かっていない、と怒りを示すなど信仰面で厳格な一面も持つ。こうした真摯さを評価し、アメリカのヒンドゥー教団体「ユニバーサル・ソサエティー・オブ・ヒンドゥーイズム」の指導者ラジャン・ゼッドは彼女に栄誉を与えている[14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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