ジュネーブ協定
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合意はベトナム民主共和国、中華人民共和国、ソ連、フランス、イギリスが署名するも、アメリカとベトナム国は署名しなかった[1][2]
停戦後の動向

フランスはインドシナ半島から撤退し、北ベトナム(ベトナム民主共和国の暫定支配地域)から200万人のベトナム人が南ベトナム(ベトナム国の暫定支配地域)へ逃れた[注釈 1]。ベトナム国ではゴ・ディン・ジエムバオ・ダイを追放してベトナム共和国政府を樹立する一方、北ベトナムと自由選挙に関する協議を行うことを拒否した為、協定で定められた南北統一選挙は実現しなかった。このためベトナム統一をめぐって南北が競い合い、北ベトナムがゲリラを送り、これに対してアメリカ軍も軍事介入してベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)に発展していく。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ フランス軍と第7艦隊が86万人を避難させたとき、北ベトナム人はほとんど妨害せず、時には支援した[3]

出典^ Ang Cheng Guan (1997). Vietnamese Communists' Relations with China and the Second Indochina War (1956?62). Jefferson, NC: McFarland. p. 11. ISBN 0-7864-0404-3.
^ Logevall, Fredrik (2012). Embers of War: The Fall of an Empire and the Making of America's Vietnam. random House. ISBN 978-0-679-64519-1. :606
^ M・マッカーシイ『ハノイ』早川書房、1969年、P.25頁。 

関連項目

コロンボ会議

パリ協定 (ベトナム和平)

外部リンク

協定全文(英語)

『ジュネーブ協定』 - コトバンク

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