ジュゼッペ・ヴェルディ
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この時期のヴェルディ作品はそのような時流に乗り[6]、エネルギッシュであり新しい時代の到来を感じさせ[1]、聴衆の欲求を掻き立てた[53]。それは聴衆を魅了することに敏感なヴェルディの感覚から導かれたとも言う[4]。しかし、作品の完成度や登場人物の掘り下げ、劇の構成などには劣る部分も指摘される[6]
『マクベス』に始まる人間表現

2期の始まりとなる『マクベス』は、怪奇性が全体を占め、主人公のマクベス夫妻の欲望と悲劇が筋となる台本であった。ヴェルディはこの特異性を最大限に生かした細かな心理描写を重視し[53]ベルカントを否定してレチタティーヴォを中心に据えるなど[13]合唱がこの雰囲気を壊さないことに心を砕いた。当時のオペラには演出家はおらず、ヴェルディは『マクベス』で150回を越えるリハーサルを行い、シェイクスピアを表現するという総合芸術を目指した[13]。『群盗』は主役のジェニー・リンドを立てることに重点が置かれ、気が進まないまま制作した[53]『海賊』は従来からの傾向が強かった。『レニャーノの戦い』は時局に追随する愛国路線の最後の作品として、それぞれ進歩性は鳴りを潜めた。しかし、『ルイザ・ミラー』や『スティッフェーリオ』からは人物の心理を書き表す方向性が再び示され始めた作品で、最初は観客から理解を得られなかった[1]

しかし『リゴレット』では醜いせむし男を含む主要な4人物それぞれの特徴を四重唱で[53]対比させ、劇進行を創り上げた。この傾向は動的な[53]『イル・トロヴァトーレ』主役の復讐に燃えるジプシー女、静的な[53]『椿姫』主役の高級娼婦の悲哀と死を表現する劇作において、より顕著なものとなった[54]。『リゴレット』『イル・トロヴァトーレ』『椿姫』は単純な善悪の対立ではなく、複雑な人間性を音楽と融合させて描き出した中期の三大傑作となった[53]
多国籍オペラへ『アイーダ』「凱旋行進曲」の旋律。

『シチリアの晩鐘』の出来はヴェルディに不満を残した[25]が、フランス・オペラ座での仕事を通じ彼はグランド・オペラの手法を取り入れた[1]。『シモン・ボッカネグラ』『仮面舞踏会』『運命の力』は改訂版を含め劇作性を高める方向を強め、『ドン・カルロ』は初演ではいま一つだったが[37]、その改訂版および『アイーダ』ではイタリア流グランド・オペラの成熟を実現した[35]

特に『アイーダ』は多国籍の様式を混合させた[35]。イタリア・オペラの華麗な旋律で満たしながら、声楽を重視する点は覆して管弦楽とのバランスを取らせ、以前から取り組んだドラマ重視のテーマと融合させることに成功した。舞台であるエジプトについて情報を仕入れたが、楽曲はエジプトの音楽ではなくヴェルディが独自に創造した異国的音楽であった。フランスのグランド・オペラも取り入れながら、その様式もそのままではなく工夫を凝らした4幕制を取るなど、独自の作風を実現した[40]

ヴェルディの大作は高い人気を誇り、それらを何度も繰り返して公演する方法が一般化し、例えばスカラ座はそれまで年3本程度のオペラを上演していたが、1848年以降は平均でほぼ年1本となった。これはレパートリー・システムと呼ばれた[55]。作曲者は初演こそ慣例的に舞台を監督したが、このシステムが確立すると実際の監督は指揮者が担うことになり、オペラ専門の指揮者が現れだした[55]。この代表がヴェルディの友で後に仲違いをしたアンジェロ・マリアーニである。レパートリー・システムはヴェルディの作品から始まったとも言えるが、指揮者の権限が強まると中には勝手に改作を施す者も現れ、ヴェルディは激怒したと伝わる。しかし、この流れは20世紀の演奏重視の傾向へ繋がってゆく[56]
晩年の傑作

16年の空白を経て発表された新作[44]『オテロ』と最後の作『ファルスタッフ』は、それぞれに独特な作品となったが、いずれも才能豊かなアッリーゴ・ボーイトの手腕と、結果的に完成することはなかったが長年『リア王』を温めていた[57]ヴェルディのシェイクスピアに対する熱意が傑作の原動力となった[53]

『オテロ』は長く目指した音楽と演劇の融合の頂点にある作品で、同時にワーグナーから発達したドイツ音楽が提示する理論(シンフォニズム[1])に対するイタリア側からの回答となった[53]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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