ジャン=ポール・ベルモンド
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1980年代以降も様々な作品に出演し活動していたが、2001年8月に脳梗塞を発症。その後は復帰しテレビやドキュメンタリーに出演、2008年には『un homme et un chien(原題)』で主演を務めているものの、手足が不自由になっており第一線での活躍は退いていた[5]

2011年にこれまでの功績から、カンヌ国際映画祭にてパルム・ドール・ドヌールを受賞[6]。 2019年7月にはレジオンドヌール勲章を授与された[7]

2016年、『世界の果てまでイッテQ!』の企画で(夫人の紹介もあり)出川哲朗と対面。自宅にて出川とツーショット撮影を行った[8]

2021年9月6日、フランスのメディアによって、パリの自宅で死去したことが伝えられる[9]。88歳没。

同月10日、俳優としては異例となるフランス政府主催の追悼式がアンヴァリッド廃兵院で営まれ、エマニュエル・マクロン大統領が弔辞を読みその死を悼んだ[10]。また、式には遺族や閣僚、映画関係者ら各界の著名人を含む数千人が参列し、入場できなかった人のため会場外の遊歩道には中継用の巨大なスクリーンが設置された[11][12]
評価

フランスでは、フランス映画の象徴であり国宝であると称され、影響力のある俳優であった。また、現代のヨーロッパ映画を形成する上でも大きな影響があったという[13][14][15]

アクション俳優としての評価も高い。CGの無い時代にスタントを用いず、現在では撮影不可能といえる様々なアクションを敢行したことで、ジャッキー・チェントム・クルーズらにも大きな影響を与えたという[16]。また、このスタントマンに任せず自ら演じる姿勢を、日本の俳優・千葉真一が尊敬していると語っている[17]
日本での人気・影響

1960年代から70年代にかけては、多くの作品が公開されテレビ放送も行われたことでアラン・ドロンと双璧を成す人気であり、ドロンに比べると男性ファンが多かったという。また、70年代はアクションスターとして人気を得ていた。1990年代からはヌーヴェルヴァーグの俳優としての評価が高い[18]

寺沢武一漫画作品『コブラ』の主人公であるコブラのモデルは、若き日のベルモンドである[19]。小説アダルト・ウルフガイシリーズの主人公・犬神明は「アウシュビッツ帰りのジャン=ポール・ベルモンド」と呼ばれており、ベルモンドを痩せぎすにした容貌となっている(『リオの男』に対し『リオの狼男』も執筆された)。

渡哲也主演の映画『紅の流れ星』での主人公像は、『勝手にしやがれ』で主演したベルモンドがモデルである[20]

お笑い芸人ビートたけしこと映画監督北野武は若き日にフェデリコ・フェリーニルイ・マルジャック・タチロベール・ブレッソン等の60年代70年代のヨーロッパ映画に影響を受けていることで知られているが、ベルモンドがゴダールと組んだ「勝手にしやがれ」「気狂いピエロ」[21]ジャン・ピエール・メルヴィル「いぬ」にも強い影響を受けていることで知られており、メルヴィル「いぬ」でみられる歩くシーンが長い演出やアウトローの死にざま[22]女は女であるをフェリーニの「フェリーニの道化師」とピエール・コラルニックのガラスの墓標と共に洋画ベスト3に選ぶなど[23]、そして北野の「ソナチネ」は「気狂いピエロ」にオマージュを捧げ当初がタイトルが「沖縄ピエロ」であったこと[24]、ベルモンド作品からも強い影響を受けていることがわかる[25]

1980年代以降、ベルモンド出演作はフランス側からすると「大メジャーな作品」であり、上映権などの料金が高騰したことで権利許諾が非常に困難になった。そのため、日本では多くの作品が公開やソフト化が行われず、近年は忘れられた存在になっていたという[18]。その後、江戸木純の企画により何度も交渉した結果、2020年に「ジャン=ポール・ベルモンド傑作選」として出演作の特集リバイバル上映が行われた。これがコロナ禍にもかかわらず大ヒットを記録し大きな反響を呼んだことで、再評価が高まっている[18]宇多丸のラジオ「アフター6ジャンクション」の2020/10/26放送で、江戸木をゲストに招きベルモンド特集を放送した[26]
エピソード

フランス映画に対する強い思いから英語圏の国が製作する映画には出演しなかったことで知られ、ハリウッドから数多くのオファーがあったにもかかわらず辞退していたという[27]ガーディアン紙は訃報を伝える際、べルモンドを「フランス映画だけでなく、フランス自体の歴史において不可欠な人物だった」とその姿勢を含め功績を称賛した[28]

アラン・ドロンとは、キャリア初期から何度も共演するなど親交があり、永遠のライバルと呼ばれた。訃報に対しての取材にドロンは「私は砕け散った」「彼は仲間だ。60年前から知り合い、一緒に仕事をして、とても親しかった」と動揺を隠せない様子で語り「私の人生の一部なんだ」と1950年代後半から続いた交流を振り返った[29]
主な出演映画

公開年邦題
原題役名備考吹き替え
1957
歩いて馬で自動車で
A pied, a cheval et en voitureべノム長編映画デビュー作野沢那智(テレビ版)
1958黙って抱いて
Sois belle et tais-toiピエロ富山敬(テレビ版)
危険な曲り角
Les tricheursルー
1959二重の鍵


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