ジャン=ジャック・ルソー
[Wikipedia|▼Menu]
7月7日、ジャン=ジャックは生後9日にして母を喪っている[8][9]。母シュザンヌ・ベルナールは裕福な一門の出で、賢さと美しさを具えていたと言われている。ジャン=ジャックは母からこうした美点を受けついで誕生するが、幼いころは病弱であった。病気がちであったことは精神面の敏感さと共に生涯にわたって苦悩の原因になっていく。5年後の1717年にルソー家は上流階級の住む街グラン・リュから庶民の住むサン=ジェルヴェ地区に居を移し[10]、ジャン=ジャックは父方の叔母シュザンヌ・ルソーの養育を受け、父親を手本に文字の読み書きなどを教わりながら育った。7歳の頃から父とともにかなり高度な読書をおこない、小説やプルタルコスの『英雄伝』などの歴史の書物を読む。この時の体験から、理性よりも感情を重んじる思想の素地が培われた[11]

1722年、ルソーが10歳のころ、彼の人生は一変する。

父は、ザクセン選帝侯に仕えた元軍人のゴーティエという貴族との喧嘩がもとで、剣を抜いたという一件で告訴され、ジュネーヴから逃亡することになった[12]。兄は徒弟奉公に出され(後に出奔して行方知れず)、孤児同然となったジャン=ジャックは、母方の叔父である技師ガブリエルによって従兄のアブラハム・ベルナールと共にランベルシェという牧師に預けられたが、ジュネーヴ郊外のボセーで不自由な寄宿生活を送ることになった。しかし、ルソーにとってここでの暮らしは決してよい生活ではなく、牧師の妹で未婚の40代女性ランベルシェ嬢から身に覚えのない罪で度々折檻もされたという。この時期、不法な支配への反発心があった。

1724年秋にジュネーヴに帰ってから司法書記マスロンのもとで書記見習いとなるも長続きせず、1ヶ月半後には、横暴で教育能力のない20歳の彫金師デュマコンのもとで5年契約の徒弟奉公を強いられた[13]。ルソーは日常的に虐待を受け、次第に虚言を語り、仕事をさぼって悪事や盗みを働く素行不良な非行少年となっていた。ただし、生活環境が悪化して無気力になっていたものの読書の習慣は続いていた。貸本屋で本を借りて読書に耽っては仕事をさぼり、親方に本を取り上げられたり、捨てられたりしながらも読書を続けた。ルソーにとって読書は唯一の逃避だったのである[14]
青年時代
ヴァランス夫人との出会いヴァランス夫人(英語版)。ルソーの保護者であり、一時愛人となった女性。

1728年3月14日、ルソーは市の城門の閉門時間に遅れて、親方からの罰への恐怖から遂に出奔を決意する。従兄のベルナールから僅かな金と護身用の剣を受け取り、一年に及ぶ放浪生活に入った[15]。当初、南に向かって歩き始め、サルディニア王国トリノに行くが落ち着き先を得られずに放浪した。やがて、サヴォワ領のコンフィニョンに流れ着き、カトリック司祭のポンヴェールの保護を受け、落ち着き先を手配された。それがルソーの生涯に大きな影響を与える貴婦人の屋敷であった[16]

1728年3月21日、ルソーはアヌシーのヴァランス男爵夫人の屋敷を訪ねて世話を受けるようになった。ルソー15歳、フランソワーズ=ルイーズ・ド・ラ・トゥール・ド・ヴァランスはこのとき29歳であった。二人の出会いについてルソーはこう回想している。「わたくしはとうとう着いた。わたくしはヴァラン夫人にあった。……この一瞥の瞬間の驚きはいかばかりだったであろう。……。ボンヴェール司祭の言う親切な婦人というのは、私の考えでは、それ以外にはありえなかった。しかし、わたくしは、優美さに満ちた顔、やさしい青い美しい目、まばゆいばかりの顔色、そしてうっとりとさせるほどの胸の輪郭を見たのだ。若い改宗者は、すばやい一瞥でなにも見逃さなかった。若い改宗者と言ったのは、その瞬間わたくしは彼女のものとなってしまっていたし、また、この伝導師によって伝えられた宗教は、きっと天国に導いてくれると確信するようになったからである。……。ボンヴェール司祭の手紙をちらりと見てから、彼女はわたくしをどっきとさせた調子で『坊や、こんなに若いのに放浪しているの。本当にお気の毒です。』といい、さらに、『わたくしの家にいってわたくしをお待ちなさい。そして食事を言いつけなさい。ミサが済みましたらお話にいきます。』といった。」[17]

ルソーはヴァランス夫人に恋をした[18]。そのヴァランス夫人は15歳でセバスチャン=イザーク・ド・ロワと結婚したが、夫との不仲のため家を出てカトリックに改宗し、サルデーニャ王でもあるサヴォワ公ヴィットーリオ・アメデーオ2世の保護を受け1500リーブルという多額の年金を与えられていた[19]
サヴォアの助任司祭

彼女はルソーと暮らすことはなく、彼をカトリック改宗のためにトリノの救護院に行くように手配する[20]。救護院では二カ月ほど缶詰状態の暮しであったが、形ばかりの改宗の後、20フランを与えられて解放され、再び自由の身となった[21]。その後もさまざまな職業を試したが、不良時代の名残で素行が悪く盗みを働いたり、虚言で人に罪を着せたりとしたため信用を失い、結局どの職にも落ち着くことができなかった[22]

その間、懇意になったジャン=クロード・ゲームという、20歳ほど年上のサヴォアの助任司祭から温かい援助を受けていた。ゲームは裕福なわけでも仕事の紹介や世話をしたわけではないが、悪事を働きそのたびに失敗するルソーが生き方を改められるように「小さな義務を果たすことは英雄的行為に匹敵するほど大事なことで、常に人から尊敬されるように心がけるよう」助言を与えた。幸福になるためこれまでの生き方を捨て健全な道徳と正しい理性を保って生きるように、ゲームから勧められ励ましてもらったことを、ルソーは後に「当時、わたしが無為のあまり邪道におちいりそうなのを救ってくれたことで、測りしれぬ恩恵をあたえてくれた」と回想している[23]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:228 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef