ジャン・ジロー
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

注釈^ ジローは自身に影響を与えた書物として、SF作品のほかにはボリス・ヴィアンジュリアン・グラック(『シルトの岸辺』)、レーモン・ルーセルを挙げている[4]。ボリス・ヴィアンの作品には軍隊時代に出会ったという。レーモン・ルーセルについては、作品タイトルや作中の台詞で言葉遊びを多用する傾向などにも影響が現われている[5]。そのほか「アポロ」という名のイギリス人による『美術史』のフランス語版に感銘を受けたという[2]
^ ジローは「メビウス」の筆名を、「ひとひねりしたBD(バンドデシネ)」というその作風と関連付けて説明している[7]。「バンドデシネ」(bandes dessinees) はもともと「描かれた帯」の意である。また「ひとひねりした」 (tordu) というフランス語には「まともでない、変な」という意味がある[8]
^ ジローははじめビジュアルコミュニケーション、視覚コミュニケーションなどコミュニケーション系の学科を希望していたが、すでに定員に達していて入れなかった[9]
^ ただし、ジローはジジェの教えをすべて受け入れたわけではない。自然や資料を見て対象を描くように促すジジェに対して、ジローは「物事を内側から描く」自分のスタイルを貫き、しかしそれにも関わらずジジェそっくりの絵を描くことができた[9]。ジジェはジローが非常に少ない線で絵を描くことに驚き、ジローを「BD(バンドデシネ)のランボー」と呼んだ[15]
^ 作品自体には「ジル」の署名が使われていたが、出版社の意向で「ジャン・ジロー」の名で出版されることになった[17]
^ 特に『マッド』の作家ジャック・デイヴィス(英語版)によく似た絵柄であったが[9]、ジロー自身は同誌の作家ではデイヴィスよりもウィル・エルダー(英語版)からの影響を強調している[6]
^ ただし、漫画以外では1969年にオプタ社の挿絵をメビウス名義で手がけていた時期がある[13]。この頃のメビウスの細密画風の絵には、ヴァージル・フィンレイなどのアメリカのSF挿絵画家の影響が色濃く表れている[9]。またメビウスは後述の『巨根男』もフィンレイの影響のもとで描かれていると述べている[25]
^ 『アルザック』を含め、『メタル・ユルラン』創刊当時のメビウスの作風はドリュイエの影響を強く受けている[26]
^ ジローは宗教団体ISO-ZENに入り1978年から1986年までのあいだタヒチにある教団の芸術家村で生活をしていたが、入信のきっかけはホドロフスキーとの交流で無意識の世界に興味を持ったことであった[30]。後にはアンスティンクトセラピー(英語版)にも入信している。いずれも家族を引き連れての入信であったが、その後こうした新興宗教団体とは距離を置くようになった[26]
^ トニー・スコット監督の映画『クリムゾン・タイド』(1995年)には、デンゼル・ワシントンが演じるロン・ハンター少佐が、ジローのサーファーはジャック・カービーによるサーファーとは別物であると言及するシーンがある。
^ 谷口の作品『事件屋稼業』のキャラクターはメビウスの短編から取られている[65]
次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:89 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef