ジャン・ジロー
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^ ジローは「メビウス」の筆名を、「ひとひねりしたBD(バンドデシネ)」というその作風と関連付けて説明している[7]。「バンドデシネ」(bandes dessinees) はもともと「描かれた帯」の意である。また「ひとひねりした」 (tordu) というフランス語には「まともでない、変な」という意味がある[8]
^ ジローははじめビジュアルコミュニケーション、視覚コミュニケーションなどコミュニケーション系の学科を希望していたが、すでに定員に達していて入れなかった[9]
^ ただし、ジローはジジェの教えをすべて受け入れたわけではない。自然や資料を見て対象を描くように促すジジェに対して、ジローは「物事を内側から描く」自分のスタイルを貫き、しかしそれにも関わらずジジェそっくりの絵を描くことができた[9]。ジジェはジローが非常に少ない線で絵を描くことに驚き、ジローを「BD(バンドデシネ)のランボー」と呼んだ[15]
^ 作品自体には「ジル」の署名が使われていたが、出版社の意向で「ジャン・ジロー」の名で出版されることになった[17]
^ 特に『マッド』の作家ジャック・デイヴィス(英語版)によく似た絵柄であったが[9]、ジロー自身は同誌の作家ではデイヴィスよりもウィル・エルダー(英語版)からの影響を強調している[6]
^ ただし、漫画以外では1969年にオプタ社の挿絵をメビウス名義で手がけていた時期がある[13]。この頃のメビウスの細密画風の絵には、ヴァージル・フィンレイなどのアメリカのSF挿絵画家の影響が色濃く表れている[9]。またメビウスは後述の『巨根男』もフィンレイの影響のもとで描かれていると述べている[25]
^ 『アルザック』を含め、『メタル・ユルラン』創刊当時のメビウスの作風はドリュイエの影響を強く受けている[26]
^ ジローは宗教団体ISO-ZENに入り1978年から1986年までのあいだタヒチにある教団の芸術家村で生活をしていたが、入信のきっかけはホドロフスキーとの交流で無意識の世界に興味を持ったことであった[30]。後にはアンスティンクトセラピー(英語版)にも入信している。いずれも家族を引き連れての入信であったが、その後こうした新興宗教団体とは距離を置くようになった[26]
^ トニー・スコット監督の映画『クリムゾン・タイド』(1995年)には、デンゼル・ワシントンが演じるロン・ハンター少佐が、ジローのサーファーはジャック・カービーによるサーファーとは別物であると言及するシーンがある。
^ 谷口の作品『事件屋稼業』のキャラクターはメビウスの短編から取られている[65]。谷口はジャン・ジロー/メビウスをはじめとしてフランソワ・スクイテン、ポール・ジロン、エンキ・ビラルパラシオス、ミッシェル・クレスピらバンドデシネ作家から多くの影響を受けたが、その後独自の画風を確立し、また題材もSFや探偵ものから私小説的な世界を中心とするようになった。谷口の作品はフランスをはじめ海外で多数翻訳されて高い評価を受けており、特に『歩くひと』(1990年)のフランス語版はメビウスの目にとまり、これがきっかけで『イカル』での共作が実現することになった[66]

参照^ Screech, Matthew. 2005. "A challenge to Convention: Jean Giraud/Gir/Moebius" Chapter 4 in Masters of the ninth art: bandes dessinees and Franco-Belgian identity. Liverpool University Press. pp 95 - 128.

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