ジャン・ジロー
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このシリーズは南北戦争直後を時代背景として、複雑な過去をもつ北軍の中尉ブルーベリーの様々な冒険を描いてゆくもので、「メビウス」のそれとは違い伝統的なコミックの技法に則って描かれている[18][20]。当初その作風は師匠のジジェに強く影響されたものであり、そのためジローが『ブルーベリー』第4作「行方知れずの騎兵」を執筆中に一時アメリカに失踪したときには、ジジェがその代筆を行うことが可能であった[21]。しかしやがて画風、コマ割りの試行錯誤を経て独自の作風を獲得してゆき[22]、のち「メビウス」としての活動を再開してからも続けられ、様々な作風の変化を経ながら40年もの間描き継がれる長期シリーズとなった。巻数は28巻(2005年)におよび、さらに『ブルーベリーの青春時代』『保安官ブルーベリー』の2作のスピンオフシリーズも制作された。
「メビウス」の再開と映画との関わり

「メビウス」名義での活動再開の端緒となったものは、1973年に『ピロット』誌に掲載された短編作品「まわり道」であった。「まわり道」はジル名義で署名されているものの、超現実的なプロットや細密なハッチング、自由奔放なコマ割りなど、『ブルーベリー』の伝統的な技法からの大きな逸脱が見られ[23]、ジロー自身によってもその後の「メビウス」としての活動再開の出発点に位置づけられている[24][注釈 7]。翌年には同誌でメビウス名義による「白い悪夢」を掲載し、また同年刊行された『巨根男(バンダール・フー)』では、見開きの左では一枚絵で、右ではコマ割り漫画で別々の物語を展開させる実験的な構成を試みている[25]。さらにこの年、ジャン=ピエール=デュオネ、フィリップ・ドリュイエ[注釈 8]、ベルナール・ファルカスと共同でレ・ジュマイノイド・アソシエを設立し、12月に同社より娯楽雑誌『メタル・ユルラン』誌を創刊した。ジローは創刊号より、翼竜に乗って異世界を旅する男の物語を『アルザック』を掲載している。この作品は台詞や擬音を一切廃した、当時としては珍しいサイレント形式が取られており、そのころ技術的に可能となった絵に直接彩色する方法で作られたこともあって、バンドデシネ界に衝撃をもって迎えられた[27]。SF色の強い『メタル・ユルラン』は以後「メビウス」名義での活動拠点となり、1976年には『ブルーベリー』と双璧をなす[20]メビウスのSFシリーズ『密封されたガレージ(フランス語版)』の掲載も始まった。『メタル・ユルラン』は1977年からはアメリカ合衆国で『ヘヴィ・メタル』として翻訳刊行もされており、メビウス作品をアメリカに紹介する役割も担った[28]

1975年、ジローは映画監督アレハンドロ・ホドロフスキーと出会い、ホドロフスキーが当時手がけていた映画『デューン』の製作に関わるために訪米した。『デューン』の企画は結局頓挫したが(その後『デューン』はデイヴィッド・リンチ監督で1984年に公開された)、ジローはその後『猫の目』(1978年)やSFシリーズ『アンカル』(1981年-1988年、いずれもメビウス名義)などホドロフスキーを原作とする作品を手がけている。ジローは師匠と呼ぶほどホドロフスキーの人間性に傾倒し、一時期彼の存在はジローの精神的支柱となっていた[29][注釈 9]。また『デューン』に関わる過程で脚本家のダン・オバノンと知り合い[31]、1976年にはオバノンを原作とする、近未来を舞台にした探偵漫画『ロング・トゥモロー(英語版)』を『メタル・ユルラン』に掲載した。この作品はウィリアム・ギブスンの初期作品やリドリー・スコット監督のSF映画『ブレードランナー』のヴィジュアルに影響を与えた作品としても知られている[32][33][34]。1979年にはオバノンが脚本を書いた映画『エイリアン』にデザイナーとして関わり、以降『トロン』(1982年)『アビス』(1989年)『フィフス・エレメント』(1997年)といった様々なSF映画のコンセプトデザインを手がけていくこととなった。映像作品では他に、1982年のルネ・ラルー監督によるSFアニメーション映画『時の支配者(英語版)』に原画、彩色、脚本などで参加し、同年のファンタフェスティバル・最優秀児童映画賞をラルー監督とともに受けているほか、ウィンザー・マッケイの『リトル・ニモ』を原作とする1989年の日本製アニメ映画『ニモ/NEMO』の企画にも関わっている。2002年には『アルザック』を自身の手でTVアニメーション化した(『アルザック・ラプソディ』)。

『アンカル』以降のメビウスの作品には、もともとシトロエンの広告企画だったものが長編SFへと発展した『エデナの世界(英語版)』(1985年-2001年)などがある。1988年から1989年にかけて、メビウスはスタン・リーを原作として、アメリカのヒーローコミック『シルバーサーファー』のミニシリーズ2冊を手がけた。この作品はマーベル・コミック社からEpic Comicsのインプリントで刊行され、のち『Silver Surfer: Parable』としてまとめられている[注釈 10]。メビウスはこの作品で1989年度のアイズナー賞の限定シリーズ部門を受賞した。1997年には日本の漫画家谷口ジローの作画による『イカル (漫画)』を『モーニング』誌に連載している。この作品は12回の連載で第一部が完結したが、同誌の編集長が代わったため再開されないまま終わってしまった[35]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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