ジャンヌ・モロー
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父はフランス人のレストラン経営者、母はイギリス人(イングランドランカシャー州出身)のキャバレー・ダンサーで、母の影響を受けて育つ[5]パリフランス国立演劇学校 (コンセルヴァトワール)で演技を学び、1947年に舞台デビュー[6]。劇団コメディ・フランセーズで頭角を現す。映画にも出演し始め、ルイ・マルの『死刑台のエレベーター』やフランソワ・トリュフォーの『突然炎のごとく』など、ヌーヴェルヴァーグの監督達の作品で国際的な名声を得る。

ミケランジェロ・アントニオーニ』、ジョゼフ・ロージー『エヴァの匂い』、オーソン・ウェルズ『審判』、ルイス・ブニュエル『小間使いの日記』など、著名な映画監督と組み、ウェルズはモローを「世界で最も偉大な女優」と評した[7]

マルグリット・デュラス原作の『雨のしのび逢い』でカンヌ国際映画祭主演女優賞を受賞。同じくデュラス原作の『マドモアゼル』では主演を、『愛人/ラマン』ではナレーションを務めている。『デュラス 愛の最終章』では生前親交があったデュラス本人を演じた。

映画界への多大な貢献を評価され、フランス内外から名誉賞等を授与されている。国内では1995年と2008年にセザール賞名誉賞、2003年にカンヌ国際映画祭パルム・ドール名誉賞、国外では1992年にヴェネツィア国際映画祭栄誉金獅子賞、1997年にヨーロッパ映画賞生涯貢献賞、2000年にベルリン国際映画祭金熊名誉賞を贈られた。また2007年には芸術文化勲章コマンドゥールを受けている[6]

1949年に俳優のジャン=ルイ・リシャールと結婚し、一男ジェローム[2]をもうけるも後に離婚。1977年に映画監督のウィリアム・フリードキンと再婚したが、1979年に離婚している。

2017年7月31日午前、パリ8区フォーブール・サントノレ通りの自宅アパルトマンで倒れた状態で亡くなっているのを家政婦が発見した。その後、代理人とパリ8区長によって死去が発表された。調査結果によれば老衰。89歳没[1][2][3]。同日、エマニュエル・マクロン大統領は声明を出し、「映画を体現した」モローに敬意を表した[5]。同大統領は「映画、舞台界の伝説的女優だったジャンヌ・モローは真の自由と共に人生を疾走したアーティスト(芸術家)であった」と、悼んだ[8]
エピソードなど

交際する男性の条件を記者から「お金ですか?経歴ですか」問われた際に「そんなものはいらない。すべて私が持っています。殿方はただ美しくあってくれれば、それでいいです」と返答し、モローを敬愛している
美輪明宏も著書で、カッコ良い女の名言として紹介した[9]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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