ジャングル大帝
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「白いライオン(ホワイトライオン)」というアイディアは、手塚がかつて動物の絵本を依頼された際にライオンの絵を白熱灯の下で彩色したところ、黄色を塗るつもりが電灯の黄色い光のために白と黄の絵の具を間違えて塗り、出来上がってみると白いライオンになって没になった失敗談が発端という[5]

ジャングルを舞台とする趣向は、手塚が少年だった1930年代初めにターザン映画などを代表とする秘境冒険映画、猛獣映画など人気を呼んだアメリカ映画の影響が指摘されている。具体的には、レオの父親パンジャの名前は1934年の『パンジャ(英語版)』という猛獣狩り映画、設定は1933年の『密林の王者(英語版)』などとする説がある[6][7]第二次世界大戦後の1950年代の日本では再びターザン映画が封切られており、その当時の日本の子供向け漫画や絵物語では、ターザンものやジャングルものは最もポピュラーなジャンルの1つであった[8][9](例えば山川惣治の『少年ケニヤ』(1951-1955, 産業経済新聞連載)がターザン的な絵物語の例である)。

一方、手塚の同業者である漫画家の間では、パンジャの命名は「ジャパン」を前後入れ替えたアナグラム的な命名という説があり、事実、レオの子ども(パンジャの孫)であるルネとルッキオは、(原作漫画中で名付け親のココがトミーにこっそり説明しているように)前後入れ替えると「寝る」と「起きる」になる[10]

手塚治虫生誕90周年記念書籍「テヅコミ」Vol.3(マイクロマガジン社)にてフランス人作家のルノー・ルメールによる作画(翻訳:原正人)の本作を題材にした読み切り漫画『ムーン山の守護者』が発表された。
作品テーマ

夏目房之介二階堂黎人は、主人公レオが人間と動物の間に立っており、手塚の他作品『0マン』や『勇者ダン』などと同じく、本作の主題を異者同士の葛藤と和解であるとしている[11][12]

呉智英は、『ジャングル大帝』での暗黒大陸アフリカのジャングルの近代化をめぐる主人公レオの内心の葛藤は、手塚治虫の戦後日本における民族主義と近代主義の両方へ不信感を向けたもので回答を出しておらず、近代主義と民族主義の調和を訴えた作品と読むのは安易な読み方であるとする[13][14]

手塚自身は「大自然と生きものとの、絶えることのない闘争と征服と挫折の歴史」[15]がテーマであると述べている。また手塚はその一方、「この谷で、アフリカが東と西に分かれております。こういうアフリカをふたつに割ったエネルギーはいったいなんだろう、というのが『ジャングル大帝』のテーマであります。」[16]ともふれている。後者では、ウェゲナーの大陸移動説が直接的なテーマであると主張しているのである。この大陸移動説が物語に描かれている点について、1960年代以降のテクノプレート理論を先取りしていると評価されることがあるが、実際には戦時下でもウェゲナーの説は日本で紹介されつづけており、取り立てて先進性があったと言うことはできない[17]

アニメ版の楽曲を担当した冨田勲は、『ジャングル大帝』には連載2年前の1948年から始まった南アフリカのアパルトヘイトが影響しており、レオはネルソン・マンデラではないかという私見を述べている[18]
単行本

手塚の名を高め、1950年に「漫画少年」誌上では完結していた『ジャングル大帝』だったが、単行本化のほうは長らく完結せずのままであった。連載中の1950年に出された学童社の単行本(2巻まで)はもちろん、1967年光文社の手塚治虫漫画全集も4巻までと刊行が途中で中断し、(雑誌連載時の読者以外は)話の結末までを読むことができない状態が続いた。テレビアニメの放送とともに1965年から1968年にかけて刊行された小学館のサンデーコミックス(注:後の時代に秋田書店が出した単行本サイズの「サンデーコミックス」という名のシリーズとは違い、雑誌サイズの大判のもので、冒頭がカラーページで他の読み物も付属した)で、連載以来13年目にしてようやく単行本として完結をみた(第5巻目には初めて完結できたことを述べた著者の言葉が収録されている)。しかし、アニメ化の際に作画の参考資料として持ち帰っていたスタッフが急逝し、その上そのスタッフの部屋も整理され、前半部分を中心にオリジナルの原稿を紛失したため[19]、かなりの部分を描き直している。後半の第三部は、ほぼ連載時の状態で残っている。以後、小学館の手塚治虫全集(ゴールデンコミックス、1969年 - 1970年)、文民社の手塚治虫作品集(1976年)が出版され、1977年の講談社の「手塚治虫漫画全集」版が現在の定本となっている。なお、「手塚治虫漫画全集」の全400巻(当初刊行予定は全300巻であった)の記念すべき第1巻は、このジャングル大帝(の1巻)であった。またアニメ第1、2作の放送時期に原作者の手塚治虫本人の手で小学館の児童雑誌『幼稚園』『小学一年生』の1965年4月号から9月号までは『レオちゃん』、『幼稚園』『小学一年生』『小学三年生』『小学四年生』の1965年10月号から1966年12月号にかけて連載された『ジャングル大帝』、1967年1月号から4月号までは『ジャングル大帝 進めレオ』のタイトルで連載された子供向けにコミカライズし直したバージョンは手塚治虫漫画全集では『レオちゃん』(新装デジタル版では『ジャングル大帝学年誌版』、サンデーコミックス版では『ジャングル大帝レオ』のタイトルで漫画少年版の本家とは別作品として刊行されている。

「漫画少年」連載のオリジナル版は、印刷された「漫画少年」を版下として、1990年から1992年にかけて、手塚治虫ファンクラブ京都の「ヒョウタンツギタイムス」から復刻[20]。そして、2009年になって小学館クリエイティブより「漫画少年」連載版が『漫画少年版 ジャングル大帝』として全2巻で正式に復刻された[21]

『ジャングル大帝』(全2巻)学童社(学童社が破綻したために完結せず2巻で中断)

手塚治虫漫画全集『ジャングル大帝』(全4巻)光文社(完結せず4巻で中断)

サンデーコミックス『ジャングル大帝』(全5巻)小学館(単行本の形では初めてストーリーが完結。「漫画少年」連載時からは絵を描き換えているなど多少の違いがある)

手塚治虫全集『ジャングル大帝』(全3巻)小学館ゴールデンコミックス

手塚治虫作品集『ジャングル大帝』(全1巻)文民社

手塚治虫漫画全集『ジャングル大帝』(全3巻)講談社

手塚治虫漫画全集『レオちゃん』(全1巻)講談社

手塚治虫初期漫画館 『ジャングル大帝』(全2巻)名著刊行会(学童社の2巻分を復刻したもの)

カラーコミックス『ジャングル大帝』(全3巻)小学館

ほるぷ版手塚治虫選集『ジャングル大帝』(全2巻)ほるぷ出版

手塚治虫まんが絵本館『ジャングル大帝』(全2巻)小学館

ノーラコミックスデラックス『ジャングル大帝』(全2巻)学研

『ジャングル大帝』(全2巻)小学館

小学館文庫『ジャングル大帝』(全2巻)小学館

サンデー・コミックス『ジャングル大帝レオ』(全2巻)秋田書店

秋田文庫『ジャングル大帝レオ』(全2巻)秋田書店

小学館ぴっかぴかコミックス『ジャングル大帝レオ』(全2巻)小学館

集英社ホームリミックス / ShR『ジャングル大帝』(全1巻)ホーム社発行/集英社発売

『漫画少年版 ジャングル大帝』豪華限定版/普及版(全2巻)小学館クリエイティブ

手塚治虫文庫全集『ジャングル大帝』(全2巻)講談社

近年の紙ベースのものではない書籍としては、講談社手塚治虫漫画全集の原稿用フィルムからスキャナーで取り込んで電子化されたDVD版の手塚治虫全集や、ダウンロード方式の電子ブックファイル版などもある。
年表

1950年(昭和25年) - 『漫画少年』で漫画の連載開始。

1965年(昭和40年) - 10月6日、カラーテレビアニメシリーズとして虫プロダクション制作でフジテレビ系で放送開始。後に輸出されて『Kimba the White Lion』の題名で米国を初めとする世界の多くの国で放送される。

1966年(昭和41年) - 第4回テレビ記者会賞特別賞受賞。厚生省中央児童文化財部会年間優秀テレビ映画第1位。厚生大臣児童福祉文化賞受賞。『劇場版・ジャングル大帝』東宝系で公開。冨田勲作曲『交響詩 ジャングル大帝』(石丸寛指揮、日本フィルハーモニー交響楽団演奏)のLPレコード発売 (サウンドトラックではなくアニメ用に作った音楽を元に編曲した交響詩の嚆矢)。原作の後半に相当する『ジャングル大帝 進めレオ!』フジテレビ系で放送開始。

1967年(昭和42年) - 劇場版がヴェネツィア国際映画祭でサンマルコ銀獅子賞を受賞。『ジャングル大帝 進めレオ!』第14話「吠える氷河」が第6回日本テレフイルム技術賞受賞。

1970年(昭和45年) - 原作漫画の単行本化はこれまで何度も中断の憂き目をみていたが、新書版の小学館(ゴールデンコミックス)手塚治虫全集に於いて最終話までの刊行が初めて実現(1966-1967年に刊行された小学館サンデーコミックス全5巻は単行本ではない)。


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