ジャワ島
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1557年、ポルトガルは明朝からマカオの居留権を得て日本との貿易を開始した。日本人ジャガタラに進出するきっかけとなった。
オランダの到来

その後、バンテン王国がスンダ海峡の交易路の支配者となって繁栄したが、1596年にオランダ商人のコンパニエ・ファン・フェレ(遠方会社)が資金を出し、コルネリス・ドゥ・ハウトマン(英語版)が香料の買い付けにバンテン王国を訪れた。オランダ人とジャワ人の間で公式書類が交わされ、三世紀半に及ぶ両国の関係が始まった。しかし、和親同盟ではなく惨い植民地支配であった[2]1602年オランダ東インド会社がジャワ島に進出し、オランダによる植民地化の時代が始まる。1606年、ポルトガルとオランダ東インド会社がタンジュン・トゥアン(英語版)[注釈 1]を巡ってラチャド岬の戦い(英語版)を行ない、ポルトガルが勝利して香辛料貿易独占の足がかりとなった。

親オランダ政策をとったスルタン・ハジ(英語版)は、反オランダ派の父スルタン・アグン・ティルタヤサ(英語版)との内戦に勝利したものの、1619年にオランダ東インド会社のヤン・ピーテルスゾーン・クーンがバンテン王国を管理下に置き、「ジャヤカルタ」は「バタヴィア」(Batavia、古代オランダの呼称)と改名されることになった。1623年モルッカ諸島アンボイナ島アンボイナ事件が起こり、オランダ東インド会社が香辛料貿易を独占することになった。イギリスは東インドの制海権を失って香辛料貿易が頓挫すると、南インドのフランス領ポンディシェリ占領を目指してカーナティック戦争を開始することになった。1641年、オランダ東インド会社がジョホール王国の援助を得てポルトガル領マラッカを占領し(マラッカの戦い (1641年)(英語版))、オランダ領マラッカ(ポルトガル語版)とした。1667年第二次英蘭戦争(英語版)の講和条約・ブレダの和約で、ニューアムステルダム(現ニューヨーク)とバンダ諸島のラン島を交換した。

18世紀の3次にわたるジャワ継承戦争(第1次ジャワ継承戦争(インドネシア語版)、第2次ジャワ継承戦争(インドネシア語版)、第3次ジャワ継承戦争(インドネシア語版))と華僑虐殺事件の結果、マタラム王国は4分割されてジャワ島全域がオランダ東インド会社の支配下に置かれた。
イギリスの襲来

欧州でナポレオン戦争が戦われている中、1811年イギリスの攻撃を受け占領され、トーマス・ラッフルズジャワ副知事による植民地化政策が進められたが、フランス帝国の崩壊後は、フランスに対抗させるためネーデルラント連合王国に返還され、1824年には、英蘭協約でオランダ領マラッカとスマトラ島のイギリス植民地を交換し、イギリスの海峡植民地が完成するとともに、ジャワ島を含む島嶼部のオランダへの帰属が確定した。1825年、マタラム王族のディポヌゴロがオランダへの反乱を起こすが、1830年に鎮圧されている(ジャワ戦争)。
日本軍による占領

第二次世界大戦で、オランダ本国がナチス・ドイツの占領下になると、1942年に、蘭印作戦日本軍がジャワ島を占領した。長きにわたるオランダの圧政が同じアジア人の日本軍によって制圧され、スバラヤ市に入城する日本軍の戦車隊や日本兵をジャワ島の人々がジュンポール(万歳、一番よい)という親指を立てる最大限の歓迎を示す仕草で迎えた[3]。これら日本を大歓迎する現地の人々の写真は日本の敗戦後GHQの検閲(プレスコード)により封印された[3]
地理ブロモ山

島の形状は棒状で、西北西から東南東に東西 1040km にわたって延びる。南北 300km にわたるが、島の幅自体は最も広いところでも 200km にとどまる。最西端はカンクアン岬、最東端はバリ島の西端よりも東に延びる。スンダ海峡をはさんで北西のスマトラ島バリ海峡をはさんで東のバリ島と向かいあう。西ジャワでは急流でのラフティングが盛ん

ユーラシアプレートインド・オーストラリアプレートがもぐりこむプレート境界に位置するため、南に250km の位置にはスンダ海溝(ジャワ海溝)が形成されている。地震多発地帯であり、火山も多い。主な火山は西からクラカタウスラメット山 (3432m)、ムラピ山 (2968m)、スメル山 (3676m)、ブロモ山 (2329m)、ラウ山 (3332m)、イジェン火山 (2799 m)である。山地や丘陵が多い。このため川は急流が多く、ラフティングなどのアウトドア・アクティビティが盛んである。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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