ジャラール・ウッディーン・ルーミー
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ルーム・セルジューク朝末期の実力者である宰相ムイン・アッディーン・スライマーンもルーミーに師事し、ルーミーは彼から保護を受けた[22]
第二期挿絵付き『シャムセ・タブリーズ詩集』(1502-1503年作成)

1244年[2]、コンヤを訪れた放浪のスーフィー修行者シャムスッディーン・タブリーズィー(シャムセ・タブリーズ)と出会ったルーミーはそれまでの形式的説教や生活態度を破棄し、彼を師匠と仰いでスーフィーの修行に一生を捧げる事を誓ったという[6][15]。タブリーズィーに神の愛の具現像を見い出し、これ以降師に日夜仕えながらサマーウ(アッラーフの神名を唱えつつ音楽や踊りを通じて忘我・陶酔境に至るスーフィーの修行法のひとつ)などに日夜没頭した。

ルーミーは人前に出ずに自宅に籠り、またタブリーズィーが傲慢な態度をとったために、ルーミーの弟子やコンヤの市民はタブリーズィーを憎悪したという[23][24]。1244年までのルーミーは詩作にほとんど興味を抱いていなかったが、タブリーズィーとの邂逅が彼に変化をもたらした[25][26]。この時代のルーミーはタブリーズィーによって詩的才能を触発され、1247年12月5日の夜[27]にタブリーズィーが突如失踪した後までに神秘主義的熱情から多くの抒情詩群を生み出した。この時期の詩を編纂したものが、ルーミーの初期の作品『シャムセ・タブリーズ詩集』となる。

タブリーズィーが去った後、ルーミーは彼の教えを自身の心中に見出し、詩作に没頭していく[28]1261年(一説には1258年/59年[2])に愛弟子フサーム・ウッディーンの懇願によって神秘主義詩の傑作となる『精神的マスナヴィー』(????? ????? Mathnaw?-yi Ma'naw?) の執筆を始める。これは、自我の滅却によって人間存在を本源的真理へ帰還させることを唱った作品冒頭に掲げられる18句を主題として展開された全6巻、約25,000句[2]-27,000句[29]におよぶ長大なマスナヴィー(叙事詩)形式の叙事詩である。
最期廟内のルーミーの墓石

1273年12月17日の夕方にルーミーはコンヤで没する[30]。翌18日の葬儀にはイスラム教徒だけでなくギリシャ人やアルメニア人も参列し[30]、ルーミーの親友で、思想家イブン・アラビーの弟子でもあるサドルッディーン・クーナウィーが葬儀の指揮を執った[31]。ルーミーが眠る霊廟の設計はタブリーズ出身の建築家バドルッディーンが手掛け、費用はムイン・アッディーンとその妻が負担した[32]。ルーミーの魂は肉体を離れて神の元に召され、合一が果たされたと考える人々は彼の命日を「結婚の夜」と呼び、12月17日のコンヤではルーミーと神の再会を祝って盛大な旋回舞踏が催される[33]。1274年に完成した廟は「緑のドーム」の名前で知られ、後世でも多くの参拝者が訪れている[14]

14世紀初頭に活躍したトルコの民衆詩人ユヌス・エムレはルーミーに深い敬意を表し、多くの作品にルーミーの詩を引用した[34]オスマン帝国時代には、ルーミーの生涯を題材とした細密画が多く描かれた[35]。ルーミーの生誕800周年となる2007年は「ユネスコ国際マウラーナー年」に定められ、イスラム教国や欧米でルーミーの生誕を記念する事業が行われた[36]。ルーミーの生誕地のバルフが属するアフガニスタン・イスラム共和国、ヴァフシュが属するタジキスタン共和国、生涯の大部分を過ごして没したトルコ共和国のほか、彼がペルシア語を著述に用いていることからイラン・イスラム共和国は、彼を自国の偉人として顕彰している[37]
作風コンヤのメヴラーナ博物館所蔵の『精神的マスナヴィー』の写本同じく『シャムセ・タブリーズ詩集』の写本

簡潔かつ平易であるが抒情性に富む文体が特徴で、詩を読む者に深い感銘を与える[15]。詩には独特のリズムがあり、名手が吟じたルーミーの詩を聴いた人間は陶酔感に浸ると言われている[38]。また、詩の内容にはイスラム教だけでなく新プラトン主義キリスト教神秘主義からの影響も見て取れる[15]。著作はモロッコから中国、インドネシアにわたる広範なイスラム世界で読まれ、様々な解釈がされてきた[39]

特に1244年から1261年までの作風を指して「抒情詩の時代」と呼ばれ、『シャムセ・タブリーズ詩集』には、師シャムセ・タブリーズへの陶酔の感情が表れている[6]。詩集は写本によって収録されている句の数が異なり、中には別の詩人の作品が含まれているものもある[40]。抒情詩集に師であるタブリーズィーの名前を冠する時、ルーミーは神の体現と見なすタブリーズィーと一体化した精神状態に置かれ、詩の中で神秘主義における神との合一が果たされている[40]。ルーミーの抒情詩(ガザル)には恋愛詩の官能的・肉感的な表現はほとんど使われておらず、師に対する情熱と愛、神秘主義的な思想が詠われている[40]

『精神的マスナヴィー』は、「ペルシア語のクルアーン(コーラン)」「神秘主義の聖典・百科全書」とも評されている[41]。ルーミーの弟子フサーム・ウッディーンは他の弟子がアッタールの『鳥の言葉』『災難の書』やサナーイーの『真理の園』を愛読していることを知り、ルーミーに『真理の園』の形式に『鳥の言葉』の韻律を合わせた叙事詩の作詩を勧めたことが、『精神的マスナヴィー』執筆のきっかけだといわれている[29]。『精神的マスナヴィー』に収録されている作品のうち、ルーミーが直接記したものは冒頭の18句のみで、残りはルーミーの詩を弟子たちが書き写したものだとされている[29]


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