ジャパン・オープン・テニス選手権
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

2009年から2022年までの大会特別協賛は楽天で「楽天ジャパン・オープン・テニス選手権」と称されていた[2]が、2023年からは木下グループが特別協賛となる[3]
歴史

この節は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方
出典検索?: "ジャパン・オープン・テニス選手権" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2023年8月)
2010年大会

1972年田園コロシアムで第1回大会が開催される。しかし、この大会は準備大会として開催され選手は招待という形式で行われたため、グランプリ・シリーズの公式戦ではなかった。1973年第2回大会から男子部門がATPツアー編入。大阪オープンに次いで日本2番目のオープン大会公式戦となる。1983年大会から女子部門がWTAツアーに編入されるようになった。1983年から完成した有明テニスの森公園で開催。コートはクレーコートからハードコートに変更。

1987年、サントリーが冠スポンサーになりサントリー・ジャパン・オープンとして大会規模を拡大。賞金総額を前年の19万5000ドルから65万ドルに増額。メイン会場は1万人収容できる有明コロシアムで開催された。開催時期を10月から4月に移行。

1990年、男子トーナメントではアジア初のチャンピオンシップシリーズへ昇格する。2000年再び10月開催に変更。

1992年にバブル崩壊のため、4億円の冠協賛金を出していたサントリーがスポンサーから降りた際、当時日本テニス協会会長を務めていた小坂徳三郎が、鈴木俊一東京都知事に話を持ち込み、朝日生命と東京都がダブルスポンサーとなった。自治体が賞金大会を協賛するのは異例のことであった[4]

1993年大会以降は、東京フロンティア・朝日生命カップ、世界都市博覧会・朝日生命カップ(朝日生命と東京都の外郭団体・東京フロンティア協会と東京都観光連盟がスポンサーとして参加)、朝日生命カップ等を経て2001年からは、AIGグループの協賛によりAIGオープンとして行われた。2011年シングルス優勝のマレー(左)と準優勝のナダル

2006年、世界ランキング1位・グランドスラム優勝9回のロジャー・フェデラーが初来日。大会7日間通算で大会記録更新となる7万2386人が来場した。2008年3月、WTAが求めた2009年度以降のツアースケジュールに日本協会側が反発し、2009年度より女子部門がツアー下部のサーキット大会に格下げされた。AIGは2008年限りでスポンサーを撤退する。ジャパン・オープンとして同時開催であった男子(ATP)と女子(WTA)が分割開催されることになり、大阪、靱テニスセンターにて「HP JAPAN WOMEN'S OPEN TENNIS」として新しく開催されることになった。歴代優勝者といったジャパン・オープン女子の部の歴史はHP JAPAN WOMEN'S OPEN TENNISに引き継がれ、日本における国際大会(東レPPO、ジャパン・オープン男子、ジャパン女子オープンテニス)は再スタートする。また、2009年からジャパン・オープン(男子)と同時開催される格下大会である女子のITFサーキットシリーズは、ジャパン女子オープンテニスの前哨戦として位置づけされ、優秀選手にはジャパン女子オープンテニスのワイルドカードが付与される。同年、楽天がスポンサーとなり「楽天オープン」とも呼ぶ。

2010年からそれまでのNHK総合(シングルス)・GAORA(ダブルス)に代わりWOWOWが全日程を独占放送した。2010年、世界ランキング1位・グランドスラム3冠・全仏優勝5回のラファエル・ナダルが初来日。2011年は東日本大震災の影響で女子が中止になり、以降は男子のみの開催となった。

錦織圭が優勝した2014年は、大会史上最多の8万5286人の入場者を記録している[5]

2018年は、有明コロシアム改修の影響で武蔵野の森総合スポーツプラザ(室内ハード)で開催[6]

2020・21年は新型コロナウイルスの世界的な感染拡大を考慮し中止された[7][8]

2022年は、3年ぶりに大会を開催。第1回大会から50年を迎えた[9]
大会歴代優勝者
男子シングルス

年優勝者準優勝者スコア
1972年
坂井利郎 九鬼潤6-3, 6-4
グランプリ(現在のATPツアー)に編入
1973年 ケン・ローズウォール ジョン・ニューカム6-1, 6-4
1974年 ジョン・ニューカム ケン・ローズウォール3-6, 6-2, 6-3
1975年 ラウル・ラミレス マニュエル・オランテス6-4, 5-7, 6-3
1976年 ロスコー・タナー コラド・バラズッティ6-3, 6-2
1977年 マニュエル・オランテス キム・ウォーウィック6-2, 6-1
1978年 アドリアーノ・パナッタ パット・デュプレ6-3, 6-2
1979年 テリー・ムーア パット・デュプレ3-6, 7-6, 6-2
1980年 イワン・レンドル エリオット・テルチャー3-6, 6-4, 6-0
1981年 バラージュ・タロツィ エリオット・テルチャー6-3, 1-6, 7-6
1982年 ジミー・アリアス ドミニク・ベデル6-2, 2-6, 6-4
1983年 エリオット・テルチャー アンドレス・ゴメス7-5, 3-6, 6-1
1984年 デビッド・ペイト テリー・ムーア6-3, 7-5
1985年 スコット・デービス ジミー・アリアス6-1, 7-6
1986年 ラメシュ・クリシュナン ヨハン・カールソン6-3, 6-4
1987年 ステファン・エドベリ デビッド・ペイト7-6, 6-4
1988年 ジョン・マッケンロー ステファン・エドベリ6-2, 6-2
1989年 ステファン・エドベリ イワン・レンドル6-3, 2-6, 6-4


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:126 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef