次のアルバムとなる『リズム・ネイション1814』は、1989年にリリースされ、翌90年にかけてヒットした。歌詞では人種差別・性差別やホームレス、薬物などの政治問題を取り入れたが、サウンド的には『コントロール』に当時流行っていたテディ・ライリーのニュージャックスウィングを効果的に組み合わせたものとなり、タイトル曲の「リズム・ネイション」は本家ニュージャックスウィングをも凌駕する完成度を誇るものとなっていた。アルバムトータルとしての完成度も高く、マイケルの『オフ・ザ・ウォール』に相当するアルバムが前作『コントロール』であるならば、今作は『スリラー』に匹敵する作品であり、ジャネットをマイケル同様一躍スターにした作品と言える。アルバムからは「リズム・ネイション」「ブラック・キャット」などのシングルがヒットし、アルバムはポップスとR&Bのチャートで1位を獲得した。
表題曲「リズム・ネイション」のビデオ・クリップは、兄マイケルの影響からか、難度の高いダンスで構成されていた。ライブでは激しいダンスのため、リップシンクでパフォーマンスされることが多い。
1990年の初来日公演では、東京ドームでの最高観客動員を記録した。これにより、Rhythm Nation Tourでは2度の来日公演(5月と11月)が実現した。
1992年には、彼女とルーサー・ヴァンドロスとの、アップテンポのデュエット・シングル「ベスト・シングス・イン・ライフ・アー・フリー」がヒットした。1993年のアルバム『ジャネット』からヴァージン・レコードに移籍。シングル「それが愛というものだから」が、自身最高のビルボード8週連続1位を記録。このアルバムではセクシーな表現が一層目立つようになった。同年『ポエティック・ジャスティス/愛するということ』(2パックと共演)で映画初出演が映画の評価は低かった。第14回ゴールデンラズベリー賞最低新人賞[注釈 2]は、1989と1994年度MTVムービー・アワード女性演技賞受賞。
兄マイケルとの仲の良さは有名で、1993年に少年への性的虐待疑惑でメディアが過熱した際は、無実を祈ってワールドツアー(janet. World Tour)のステージ上で黙祷を捧げた。
1995年には、マイケルとのデュエット曲「スクリーム」を発表。この曲は、マイケルのアルバムに収録されたにもかかわらず、ジャム&ルイスなどジャネット側の制作陣が手掛けた。
1997年、アルバム『ザ・ヴェルヴェット・ロープ』を発表。これ以降は姓を略した「JANET」名義で作品をリリースする場合がある。同性愛やSMやドメスティック・バイオレンスなど様々なテーマを取り上げた。セールスは前作を下回ったものの、亡くなった友人に捧げた曲「トゥゲザー・アゲイン」が全米1位のヒットになっている。なおファーストシングルの「ゴット・ティル・イッツ・ゴーン」ではそれまで接点がなかったと思われるヒップ・ホップ畑からア・トライブ・コールド・クエストのQティップをゲストラッパーに迎え、それまでになくヒップ・ホップ色の濃い作品となっており、改めてジャネットの引き出しの多さを示す形となった。
1999年、長年に渡るボーイフレンドのレネ・エリゾンド
(英語版)と密かに結婚、そして離婚していたことを公表した。2000年、エディ・マーフィ主演映画『ナッティ・プロフェッサー2 クランプ家の面々』のヒロイン役で成功を収めた。その主題歌「ダズント・リアリー・マター」[注釈 3]もヒットした。