本名:ジョン・パトリック・ライアン KBE
アメリカ合衆国前・現大統領。
ロシア式呼称:イワン・エメトビッチ
退役アメリカ海兵隊少尉、メリル・リンチ社ボルチモア支社証券仲買人、米海軍士官学校(合衆国海軍兵学校)教員、中央情報局局外非常勤分析官、同常勤分析官、同上級情報分析官、同情報担当次官代行、同情報担当次官、国家安全保障問題担当大統領補佐官、合衆国副大統領。情報分析官当時には現場工作をすることもしばしば。世界各国で作戦に携わった。代表的なものとして、ビアトリクス作戦(KGB通信センター員一家亡命補助)、ローマ法王暗殺未遂事件(『教皇暗殺
』)、レッドオクトーバー捕獲・艦長幹部乗員亡命事件(『レッド・オクトーバーを追え』)、情報源カーディナル及びKGB議長一家亡命事件(議長と妻子は別々に救出活動がなされる)(『クレムリンの枢機卿』)、コロンビア麻薬組織の施設を攻撃していた米陸軍軽装備歩兵部隊救出作戦(『いま、そこにある危機』)がある。CIA辞任時点では情報部担当次官だった。国家安全保障問題担当大統領補佐官就任中に起きたウォール街危機や日本との戦争では、賢い作戦で手堅く勝利するものの、女性問題スキャンダルによって辞任した現職副大統領に代わり、その副大統領宣誓就任式直後に議会議事堂が攻撃され、大統領以下閣僚及び議員の多くが死亡したその場で急遽繰上げで大統領に昇格する(『日米開戦』)。
大統領になったライアンは国の体勢を立て直しつつも新興国イスラム連合共和国(原作内の架空国家)との戦争の指揮を執り、CIA情報担当次官当時に起きた米国内の核爆弾テロの黒幕でもあった過激派宗教指導者を居宅もろとも精密爆撃する。
ロシアと中国とのロシア領内の豊富な地下資源を巡る戦争ではロシアを支持し、NATOに参加させるという歴史的行動をとる。レインボー・露合同特殊部隊による中国内のICBM基地強襲の最中、中国共産党最高幹部会議にも無許可で一発のICBMがワシントンDCに向かって飛来してきた際にはホワイトハウスから退避させられたものの、兵装用プログラム転換で停泊中のイージス艦に強行着艦・単身乗り込み、パトリオットミサイル迎撃の陣頭指揮を執り、辛くも迎撃成功させた。報復措置はとらず、中国内の戦犯処分とロシア領内からの人民軍の撤退により中国共産党最高幹部からの和議・停戦を受け入れる。
任期中に死亡した前大統領の残り任期期間と再選一期期間の在職後、公職から引退。
しばらく、自宅で自伝を執筆する隠居状態だったが、「キールティー大統領のままではアメリカがだめになってしまう」と思い、大統領選挙に出馬を表明し(『デッド・オア・アライヴ』)、再選される(『ライアンの代価』)。
米海軍士官学校(合衆国海軍兵学校)教員時代、史料の調査と休暇を兼ねてイギリスを訪れた際に英国皇太子を狙ったテロに偶然出くわして、重傷を負いながらも間一髪で襲撃者たちを撃退し、その功労で大英帝国勲章ビクトリア勲位二等勲爵士(ナイト)を授与された(『愛国者のゲーム』)。よってイギリス連邦諸国では名前の前に『サー』をつけて呼ばれる。イギリス王室とは非常に仲がいい。
歴史学の博士号を取得しており、作品では「Dr.Ryan」と呼ばれる。
経歴
基本情報
CIA情報殊勲賞3回
身長6フィート1インチ(約185 cm)
妻はキャロライン・マラー・「キャシー」・ライアン、眼科医、医学博士、バージニア大学准教授。レーザー医療の権威。後にジョンズ・ホプキンス大学准教授。米国最高の医学賞ラスカー賞(実在)を獲得。
著書『闘う水兵(Fighting Sailor)』『Doomed Eagle』(ハルゼー提督の伝記)。
二女二男 (長女・“サリー”、長男・“ジャック ジュニア”、次女・“ケイティ”、次男・“カイル”)
生い立ち
警察官の父エメット・ウィリアム・ライアンと、看護師の母のキャサリン・バーク・ライアンの間に生まれる。父エメットは第二次世界大戦で陸軍第101空挺師団に所属、復員後は警察官、殺人課警部補(『容赦なく』時点)。エメットは後にライアンと関わるジョン・ケリー(後のジョン・クラーク)が復讐のために行っていた、麻薬密売人連続殺人事件を担当していた。
学生時代
ロヨラ・ハイスクールを卒業後ボストン・カレッジに入学。海軍予備役士官訓練部隊(NROTC)より奨学金を支給され、経済学専攻と歴史学副専攻で卒業。米海兵隊に入隊。
米海軍士官学校(合衆国海軍兵学校)首席(『愛国者のゲーム』で首席卒業としている)。海軍による配置先選定期間中に公認会計士試験に合格する。士官基本教程修了後に少尉任官。そのわずか3か月後、23歳の時にクレタ島でのNATO演習でヘリコプター墜落事故に遭って背骨を痛め、ベセスダ海軍医療センターで手術・治療入院。その後に退役。戦傷者給付金を受けるようになる。
シカゴズミッドウェイ空港での飛行機墜落事故によって両親を失う。自身のヘリコプター墜落事故による負傷もあり、飛行機での移動を嫌悪するようになる。
トレーダー時代
株仲買人仲介人トレーダー(証券投資家、デイトレーダー)資格を取得して証券会社メリルリンチ(現・バンクオブアメリカ・メリルリンチ)に入社、ボルティモア支社で証券トレーダーとして勤務。叔父からシカゴ・アンド・ノース・ウェスタン・トランスポーテーション・カンパニーが社員買収される話を聞かされ、それによって営業成績伸ばす一方で自己の資産を飛躍的に大きく増やす。上級副社長のジョー・マラーの目に止まり、ニューヨークの本社へライアンを引き抜くためにボルティモア支社へ訪問した際に同伴していた娘のキャロライン(通称キャシー)と出会い、交際・婚約する。
或る時にライアンが背中の激痛に襲われ、キャシーの計らいによってジョンズ・ホプキンズ大学病院で背骨・脊髄神経を再手術。全快したために戦傷者給付金支給を自ら断る。